「漫画小屋」再訪

 9月3日、「懐かしの漫劇倶楽部」の仲間4人で、同会の会員・もっこりザムライさんの「漫画小屋」にお邪魔した。私が「漫画小屋」を訪れるのはこれで3回目になろうか。
 もっこりザムライさんは、岐阜県岐阜市にお住まいだが、それとは別に岐阜県郡上市に2階建ての一軒家を所有していて、その一軒家を、漫画や特撮、映画、アイドル、プロレスなどにまつわる膨大な蒐集物を保管するコレクションハウスとして使っておられる。住居として使用していないので、6つか7つほどある部屋のすべてをコレクションで埋め尽くすことができるのだ。ある部屋には、懐かしの漫画本が大量に並べられ、またある部屋にはフィギュアが数え切れぬほど飾られ、さらにまたある部屋には、ビデオテープ・DVDソフトとそれを視聴する機器が置かれ、といった調子で、部屋ごとに蒐集物が分類・整理されている。
 そんな状態だから、この「漫画小屋」は、私のような嗜好の人間には一日中いても飽きることのない充実したテーマパークか博物館のような、とびっきり楽しい場所なのだ。



 当日は、朝8時にJR岐阜駅に集合し、もっこりザムライさんの運転する車で漫画小屋へ向かった。到着すると、ビデオ・DVDの部屋でちゃぶ台を囲んで腰をおろし、もっこりザムライさんが今日のためにセレクトした様々な映像を観ながら、おのおのが持ち寄ったコレクションを見せ合いつつ、皆で会話を楽しんだ。会話のなかで何らかの漫画や映画や諸々の物が話題にのぼったりすると、もっこりザムライさんがその実物を持って我々の前に現れる、なんてことがたびたびあった。そのため、「ここにいると、話題にした物がなんでも出てくるなあ」という話にもなった。
 少し時間が経つと、ただ座って会話するだけでなく、アイドルの部屋から写真集を持ってきて眺める人や、書棚に並んだ漫画本を手に取ってページをめくる人、漫画小屋の中の様子を写真撮影する人など、各自が好みのおもむくままに行動するようになった。



 今回の漫画小屋訪問で、藤子不二雄に関して印象に残ったトピックは、まず、もっこりザムライさんが見せてくれた『ビリ犬』の紙製組み立て玩具である。これは、『ビリ犬』が「ぼくら」に連載されていた1969年当時の、同誌の付録である。
「ぼくら」版『ビリ犬』は、テレビアニメなどメディア化されていないため、そのグッズを見ること自体が珍しい。今回見せてもらった物は、同作を連載していた雑誌の付録だからこそ実現した『ビリ犬』グッズと言えるだろう。
 1988年になって「コロコロコミック」で始まった『ビリ犬』は、テレビ朝日でのアニメ化に合わせて連載されたものなので、グッズはそれなりにいろいろ出ている。「ぼくら」版『ビリ犬』のグッズだからこそ私は瞠目したのだ。



 それから、別の方に、藤子・F先生が昭和30年代前半に雑誌の別冊付録で発表した2つの作品を見せてもらったのも感激だった。その2作品とは、『星の子カロル』(「たのしい三年生」1957年8月号)と、『恐怖のウラン島』(「漫画王」1958年10月号)である。この時代の藤子先生の別冊付録(読切作品)は、ほとんどすべてが8万円とか5万円といった万単位のプレミア価格となっており、そう簡単にお目にかかれるものではない。そんな作品を2作も拝むことができたのだから、感激しないわけがない。
 20歳代のF先生が描いたかわいらしい少年少女のキャラデザインや品のよい描線を眺めているだけで、うっとりとした気持ちになる。ただ、『恐怖のウラン島』なんて、原爆の原材料となるウラニウムの鉱山で奴隷として労働させられる少年たちの話なので、作品の内容としては、かわいらしいとか品がよいなどとのん気なことを言ってられない。



 藤子とは関係ないものの、今回漫画小屋で見せてもらったいろいろな映像も実に印象的だった。


・テレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(1966年〜68年放送)のうちの一作「まんが人生」
主演の渥美清が、売れっ子先生の下請け漫画家の役で登場。我々は、渥美が漫画雑誌の編集部を訪れるシーンを観ながら、「この編集部はロケだろうかセットだろうか」「白土三平の『サスケ』のポスターが貼ってあるから、光文社「少年」の編集部だろうか」などと感想を述べ合った。


・映画『穴』(1957年公開/市川崑監督)
京マチ子が、『鉄腕アトム』の単行本をカバンから取り出して読むシーンがあり、我々のあいだでは「これといってストーリーに関係のない行為なのにこのシーンを入れたのは、市川崑監督が手塚漫画を好きだからではないか」といった話になった。


・テレビドラマ『チャンピオン太』(1962年〜63年放送)の第1話「死神酋長」
若かりし頃のアントニオ猪木が、インディアンの扮装をした巨人レスラー“死神酋長”の役で出演。知性のない野獣めいたキャラのレスラーだったが、試合で力道山に負け、さらにそのあと主人公の太(ふとし)にも負けた。


・プロレス「ジャイアント馬場 アントニオ猪木 VS アブドーラ・ザ・ブッチャー タイガー・ジェット・シン
馬場と猪木が全日本プロレス新日本プロレスに袂を分かち、熾烈な企業戦争を繰り広げるようになって以後、2人が同じリングに上がった唯一の試合がこれだ。1979年8月26日、東京スポーツ新聞社創立20周年記念事業として、全日本プロレス新日本プロレス国際プロレスの3団体の合同興行「夢のオールスター戦」が日本武道館で開催され、そのメーンエベントがこの試合だったのだ。客の興奮や歓声がもの凄く、それだけでビデオ観戦しているこちらも盛り上がってしまう。試合後、猪木が馬場に今度はシングルでやろうと対戦要求するシーンにも熱くなった。
もっこりザムライさんは、この興行を観に行くためチケットまで買ったのだが、結局観戦できず、今でも未使用のチケットを保存している。その本物のチケットや、この興行の特集を組んだ「プロレス」誌なども見せてくださった。


 その他にもいろいろ楽しい物に触れられたが、書ききれないのでこれまでにしておく。漫画小屋に滞在したのは午前10時ごろから午後4時ごろまでの6時間ほどだった。



 もっこりザムライさんにJR岐阜駅まで送ってもらい、そこでもっこりザムライさん、岡崎のZさんと別れ、残った3人で名古屋・上前津古書店まんだらけ名古屋店に足を運んだ。午後6時をすぎていたので、古書店閉店時間を気にしつつ、急ぎ足で数軒を巡った。