少年キングを見る会

 きのう28日(土)、「懐かしの漫劇倶楽部」の仲間で集まって「少年キングを見る会」を催した。主催は岐阜のもっこりザムライさん、場所は岐阜市内の生協・2階貸し会議室だった。
 もっこりザムライさんが秋田県在住の漫画コレクターTさんから1966年〜68年あたりの「週刊少年キング」四十数冊を借りたので、それを一緒に見て楽しもうと仲間を誘ってくださったのだ。もっこりザムライさん、Tさん、ありがとうございます。


 会議室のテーブルの上に積み上げた本を見ると、まずその保存状態の美しさにうならされた。焼けや折れや破れなどが最小限に食い止められ、ビシッとした雰囲気を漂わせているのである。



 今回用意された「週刊少年キング」は、藤子漫画でいうと、A先生の『フータくん ナンデモ会社編』や『十手の十一(といち)』が連載されていた時期のものだ。この時期のA先生の作品は、描線もギャグも最高潮に脂が乗っていて、絵を眺めているだけでうっとりとしてくる。
 藤子先生以外では、桑田次郎バットマン』、つのだじろう『忍者あわて丸』、貝塚ひろし『わんぱく先生』、園田光慶『怪獣王子』、山根あおおに『なるへそくん』、一峰大二黄金バット』などの連載漫画が目を引いた。
 手塚治虫先生原作の『マグマ大使』が絵物語の形式で連載されていたのも印象的だった。執筆しているのは手塚先生本人ではなく、「文 荻野良実/絵 旭丘光志」というクレジットであった。


 このブログやその他のところもでもご縁のある長谷邦夫先生の読切漫画『ドクター・ヤブ』も見つかった。ヤブ医者のデタラメな行状を描いたギャグマンガだ。ヤブ医者と悪評が立って診療を続けていけなくなった矢部医院は、医者のいない田舎ならみんなが尊敬してくれるだろうと山村へ引っ越す。しかし、お寺の和尚さんから「医者が来たら死人が減ってしまって寺が困る。商売敵だ」などと疎ましがられることに。矢部医院は、インチキな方法で名医であることを示そうとしたが、それがばれて、結局村にいられなくなる。最後には野生の猿を診るしかなくなってしまった、というオチ。


 クイズや懸賞など企画ページにも注目。そういうページのカットを、しのだひでお、峯たろう、飯塚よし照、風間直彦といった面々が描いているのだ。
 カラーグラビアのページも興味深かった。1966年12号の「ややや……新怪獣あらわる」では、漫画家たちの顔写真と怪獣・怪物のイラストがコラージュされていて不気味だった。二人の藤子先生は「双頭怪鳥」、横山光輝先生は「フランケンシュタイン」、つのだじろう先生は「ガメラ」になっていた。


 昭和40年代前半の少年キングの世界にどっぷりとひたれた一日だった。