藤子A先生と一緒にお祭りを満喫!!!

 14日(日)から、藤子不二雄A先生のふるさと・富山県氷見市で「藤子不二雄Aまんが展」がスタートした。開催期間が1年もあるので、「いつか行こう」とのんびりかまえていたのだが、14日に藤子A先生と氷見市長の対談イベントが開催されると分かり、いてもたってもいられなくなって思わず氷見まで出かけてしまった(笑)
 感動的なことや楽しいことがいろいろとあって、とてつもなく素晴らしい氷見旅行となったが、今日の記事では、氷見で体験した出来事の時系列を跳び越え、今回の旅行中で最高に感激したエピソードをまず記したいと思う。今でも興奮状態が続くほどの特別な体験だった。


 14日午前11時から、氷見の「いきいき元気館」という施設で藤子A先生と氷見市長の対談イベントが始まる。
 藤子A先生が「いきいき元気館」の建物内へ入られるところで、「先生、対談楽しみにしてま〜す!」と声をかけさせていただいた。A先生は、大きく手を挙げて笑顔で応えてくださった。
 対談イベントは『これからの氷見の未来について』と題された、かなり硬めの内容。私はこの対談のために氷見までやってきたので、とにかく聴講できて満足だった。一番前の真ん中の席、つまり藤子A先生の真正面の席に座って、ノートをとりながら先生のお話をじっくりと聴いた。


 対談イベントが終わって、藤子ファン仲間のNさんやMさんらとロビーでたむろしていたら、控え室から藤子A先生が出てこられたので、私はすかさず対談の感想を伝えた。


 私「今回のお話はいつもより硬めでしたね〜!」
 藤子A先生「そりゃあ市長さんが相手だから硬くならざるをえないよ〜(笑)」
 私「でも、先生が奥さんと電車に乗ってるところを編集者に目撃されて、愛人と不倫しているところだと勘違いされたのに、その誤解をあえて解かなかった、というお話は可笑しかったです!」



 などと言葉を交わしていたら、地元テレビ局の人が我々藤子ファンに取材をしたいと頼んできたのだった。一緒にいたNさんやMさんやAさんらは取材を嫌がって、私も拒んだのだが、結局私がいけにえとなった。
 テレビカメラを前にしてあれこれ質問に答えるなんて当然慣れていないので、私の表情や仕種は痛ましいほど挙動不審だったと思われる。でも、私の受け答えの一部始終を聴いていたMさんたちからは、「よくもまあ、次から次へとそんなに言葉が出るもんだね」と呆れがちに感心されてしまった(笑) この映像が実際に放送されたのかボツになったのかわからないが、富山県内のみの番組だろうから、どちらにせよ自分で観ることはできなかった。



 私が今回の氷見旅行で最高に感激した出来事というのは、このあと起こった。
 この日は氷見漁港で「氷見キトキトまつり」という、けっこう大規模なお祭りが開催されていて、藤子A先生はこれから藤子スタジオの方々とそのお祭りを見に行くという話だった。本来ならそこで藤子A先生とお別れとなるところだが、なんと藤子A先生やスタジオの方が「一緒に行こう!」と誘ってくださったのだ。
 私は「え、え、え、ほんとうにいいんですか?」とどぎまぎしつつも、心の中ではすっかり行く気満々で、喜びのあまり胸が破裂しそうだった。


 これまで藤子A先生とお酒を飲んだりお茶をしたりという機会はあったのだが、まさか一緒にお祭りを見に行けることになるとは思いもよらなかった。今回氷見へ出かけて、少しはA先生と挨拶できるかなあという期待感はあったものの、まさかこのような感動的なサプライズが待ち受けているとは! 期待をはるかに超える展開だった。


 対談イベントが行なわれた「いきいき元気館」から「氷見キトキトまつり」の会場まではちょっと離れているので、そこまで歩いて行ったわけだが、そのあいだじゅう私はほとんど藤子A先生と1対1でお喋りしながら歩くことができた。周囲に他の方々がいらっしゃったのだが、そのときの私はすっかり藤子A先生と2人っきりでデートをしている気分だった(笑) A先生は歩くのが速いので、ちょっと駆け足気味のデートだったが…


 西原理恵子さんとのコラボ・エッセイや、もうすぐ創刊される「ジャンプスクエア」での新連載など旬の話題から、「週刊少年サンデー」&「マガジン」創刊当時のエピソードといった昔の話まで、いろいろな話で盛り上がった。
 現在「ビッグミック増刊」に連載中の藤子A先生と西原理恵子さんのコラボ・エッセイ『人生ことわざ面白“漫”辞典』は藤子A先生のほうから西原さんサイドに持ちかけた企画で、西原さんに「老人介護」などとキツイことを言われるのがとても面白いとか、西原理恵子さんのトークイベントにサプライズゲストとして参加したとき観客のギャル達にモテモテだったとかいう話のとき、ボルテージが最高潮に高まった。
 藤子A先生と歩いているところを、藤子A先生のお姉さんが先回りして写真に撮ってくださったのも嬉しかった。



 そうして「氷見キトキトまつり」の会場に到着。
「氷見キトキトまつり」は、氷見でとれた魚介類や農産物、名産品などを売る露店がずらりと並んだ食の祭典。氷見漁港が会場だ。観光バスで訪れる客もいるほど規模が大きく、露店のテントが数多く連なるさまは壮観。


 藤子A先生がいろいろな露店を覗きながら歩かれるので、私はひたすらそれに付き添わせていただいた。トークショーやサイン会やテレビ出演時などの公の顔とは少し違う、リラックスした“素”の藤子A先生のお姿を間近で拝見しながら共に祭り会場を歩けるなんて、ファンとして至福の体験だ。藤子A先生のお姉さんや姪御さんが一緒なので、アットホームな雰囲気が漂う。


 ある露店で藤子A先生がイカ焼きに大きく反応されたので、私が「先生は魚が苦手ですが、イカは大丈夫なんですか?」と尋ねると、先生は「あんまり好きじゃないけれど、普通の魚よりはましかな」とお答えになった。それを聞いていた地元の方(編集者かも)が「えっ、あんまり好きじゃないんですか!?」と意外そうな反応。いかにもイカ焼きが好きそうな反応を示していた藤子A先生が、実はそうでもなかったと分かって、なんだか肩透かしを食らった気分だったのだろう(笑)
 カニを売る店の前に来ると、藤子A先生がしきりに「カニはうまいよ」「カニはうまいよ」「カニはうまいよ」とおっしゃるので、私はプチ洗脳されて「これはもうここでカニを買っちゃおうか」という気持ちになりかけた。そんなとき藤子スタジオの方が「カニは11月になるとおいしいのよ」とアドバイスしてくださって、私は「じゃあ11月にカニですね…」とか何とか応答し、結局カニを買うことはなかったのだった(笑)


 藤子A先生のカニ好きは伊達ではない。先生はかつて「週刊文春」でこんなことを書いておいでだ。

冬、氷見に帰って唯一楽しみにしているのが“コーバコガニ”だ。コーバコガニは、いわゆるズワイガニの雌だ。まるでお香の箱のように見えるところから、こう呼ばれるという説がある。何ともいえないデリケートな味で、ついお酒が進んでしまう。朝日山の中腹に、誉一山荘という料理旅館がある。冬の夜、ここの一室で、窓から漁火を眺めながら、コーバコガニで飲むのはたまらない。(「週刊文春」平成2年9月13日号)

 私もカニが好きなことは好きなのだが、持ち合わせのお金のことを思うと、高級品であるカニに手を出しがたいものがあるのだ(笑)



 祭り会場内を歩いている途中、前方から、氷見サカナ紳士録のブリンスとタコ八の着ぐるみがやってきた。ブリンスやタコ八は藤子A先生が氷見のためにデザインしたオリジナルキャラクター。藤子A先生は非公式でこの祭りに来ているので、着ぐるみ達はもちろん藤子A先生がこの場にいることをまったく知らない。そこで、その着ぐるみ達に声をかけ、「こちらにいらっしゃる方が、このキャラクターの生みの親なんですよ」と紹介。たちまち、藤子A先生とブリンス、タコ八の着ぐるみが並んで記念撮影会の様相になった。


 祭り会場内には忍者ハットリくん、シンちゃん、獅子丸らの人形も置いてあって、それを見つけた藤子A先生はすかさず人形たちに近づいて行って一緒に並ばれた。ご自分が生み出したキャラクターへの愛情がよく伝わってくる一幕だった。一般の親子連れ客などから、「あ! あの人、ハットリくんの作者じゃない!?」とかいう声も聞こえてきた。


「おにぎり対決」というイベントが始まると、それを藤子A先生たちと観覧。地元の小学生数人が壇上でおにぎりをこしらえて、その出来具合や創意工夫度を競い合う催しだった。それぞれのおにぎりにコンセプトがあり、そのなかに「ハットリくん参上」というおにぎりもあった。
 どんな出来上がりになるか気になったが、藤子A先生は帰り支度があるということで途中で退席され、我々も席を立った。富山空港から飛行機でお帰りになるそうで、祭り会場内で先生をお見送り。立ち去っていく先生ご一行の後ろ姿をしばらく眺めたのだった。
 藤子A先生、藤子スタジオの皆様、ほんとうにありがとうございました!



 写真1:後ろ姿のおばさんの向こう側にある大量のカニを見つめる藤子A先生。
 写真2:自らがデザインしたタコ八、ブリンスの気ぐるみと並んでピースサインを決める藤子A先生。
 写真3:獅子丸とソレカラスの人形を見守る藤子A先生。左手をポケットに突っ込んで、ちょい悪オヤジ風w



今回の記事では時系列を無視して、氷見旅行中で最高の出来事を書いてしまったが、次回よりちゃんと時系列に従って記述していきたいと思う。