藤子先生はトキワ荘時代につげ義春と一応会ったことがあるらしい

koikesan2007-12-07

 当ブログ11月26日の記事で、藤子不二雄A先生とつげ義春先生はおおむね同じ時代に漫画家生活を送っていながらぜんぜん交遊関係がなかった、ということに触れた。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20071126


 そのとき紹介した藤子A先生の言葉はこんなものだった。 

つげ義春は)トキワ荘赤塚不二夫を訪ねてきたり、新漫画党のイベントに参加したこともあるが、ぼくは話をしたことがない。でも、『李さん一家』や『ねじ式』や紀行文などは読んでいて、自分が描くものと傾向は異なるが、よい作品だと評価している。とくに『李さん一家』のラストシーンは印象的だった。

 藤子A先生はつげ義春先生とまったく話をしたことがないということだが、そのことに関連したつげ義春先生の証言を見つけたのでここで引用したい。

赤塚と小松川で知り合って、今度は彼がトキワ荘に住むようになって、それから自分が何度かそこへ遊びに行くようになって… そこで石森とか藤子さんとか、寺田ヒロオですか、そういう人と会ったことはあるんですけど。でも、まあこっちもね、デビューしたばっかりで名前なんかなかったし、記憶してないでしょうね彼等も。(「ガロ」1991年7月号)

 つげ先生の証言によれば、トキワ荘赤塚不二夫先生を訪問したつげ先生は、藤子先生やテラさん、石森章太郎先生と会っているということだ。つまり、藤子A先生はトキワ荘時代につげ先生と顔を合わせたことはあるが、姿を見た程度で言葉を交わしたことはない、ということなのだろう。あるいは、少しは挨拶や会話などを交わしたことがあるのだけれど、つげ先生が言っているように、藤子A先生はトキワ荘でつげ先生と言葉を交わした事実を記憶していないのかもしれない。



 ちなみに、このつげ先生の証言が掲載された「ガロ」1991年7月号には、先月お会いした元「たま」のメンバー・石川浩司さんが描いた「つげ義春作品実在マップ」が載っている。つげ作品には実在の地名がよく出てきて、それを石川さんが図にまとめたものだ。石川さんいわく「つげ作品の題材になった土地を推理するのは、マニアのインビな楽しみである」。
 私はつげ作品を読んでいると、そこに登場する、ひなびた温泉地を旅してみたくなる。うらぶれた街や周囲から隔絶されたような集落にも独特の魅力を感じられるようになる。
 藤子作品でも、具体的に実在の土地が描かれることがあって、やはり藤子ファンとしてはそういう場所へ行ってみたくなる。『まんが道』で描写された高岡の街などその最たるものだろう。まだ訪れたことのない場所では、藤子・F・不二雄先生の『山寺グラフィティ』の舞台となった山形県の山寺なんて非常にそそられる。