koikesanがリアル小池さんに会った!(各務原イベントレポその1)

 8月30日(土)、岐阜県各務原市で「かかみがはらアニメコンテスト」が開催されました。「かかみがはらアニメコンテスト」は、全国からクレイアニメ作品やパラパラアニメ作品を募り、優れた作品に賞をおくるイベントです。会場では、審査・表彰式のほか、応募作品が上映されたり、アニメ制作体験のワークショップが行なわれたりしました。
 ■「2008かかみがはらアニメコンテスト」
 http://www.k-it.tv/data/2008anime.htm


 このコンテストの審査員として、アニメ作家で杉並アニメーションミュージアム館長でラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名な鈴木伸一先生、マンガの神様・手塚治虫先生が残した作品を多彩な事業で我々に届けてくれる手塚プロダクション社長の松谷孝征さん、漫画家で大垣女子短大教授でかつて藤子スタジオの鬼軍曹と呼ばれた篠田英男先生という豪華な面々が揃いました。同コンテストは今年で2回めですが、前回の審査員もこの3名だったそうです。
 なぜ岐阜県各務原市にこんな大物がやってくるのか、他都道府県の方にはピンとこない面もあると思いますが、実は岐阜県および各務原市は、アニメに関する活動にたいへん力を注いでいる自治体なのです。日本のアニメ産業は東京に集中していますが、岐阜県はアニメーションの時代性や将来性、有用性に着目し、アニメ産業の誘致・育成を目的として、2002年に「ぎふ次世代アニメ研究会」を発足、アニメに関する教育、啓蒙、イベント活動などを地道に続けてきました。
 そんななか、同県各務原市で活動する教育関連のNPO団体「K-ITシティー・コンソーシアム」がアニメーションに注目し、クレイアニメ制作のワークショップを団体の活動として取り入れるようになりました。さらに各務原市の市長もアニメの面白さに理解を寄せ 岐阜県の協力を得ながら、クレイアニメ制作講座の拠点施設として「ぎふアニメ制作ワークショップ」を開設したのです。
 現在「K-ITシティー・コンソーシアム」は、各務原市の拠点施設や小中学校などで熱心にワークショップ活動を展開し、子どもの創造性の涵養や不登校児へのセラピー、市民に対するアニメの魅力の伝達といった様々な成果を上げています。ときには県外へ出張することもあるそうです。
 私の説明のなかに聞きなれない固有名詞がいっぱい出てきて、すぐには把握しきれないかもしれませんが、ともかく岐阜県各務原市がアニメに愛を持って活動している自治体であることをお伝えしたいと思ったのです。私の住む愛知の隣県の岐阜で、こんなにも素敵な活動が行なわれているとなれば、やはり応援したい気持ちでいっぱいになります。今後も、ずっとこうした取りくみを続けていってもらいたいと願います。



 さて、そんなわけで、30日(土)に「かかみがはらアニメコンテスト」へ足を運んだわけですが、今回はその前日、29日(金)の話になります。
 この日の夜、「かかみがはらアニメコンテスト」関係者の交流会が、各務原市内の「柴園」というお店で催されました。私は、関係者でもないのに、熱心なマンガファンということでNPO団体「K-IT」の専務理事Iさんからお誘いをいただき、お言葉に甘えて交流会に出席させてもらいました。交流会には、鈴木伸一先生、松谷社長、篠田英男先生も出席されるのです。そんな憧れの方々と同じ交流会に参加できるなんて、あまりに素晴らしすぎて涙が出るほどです。誘ってくださったK-ITのIさんには感謝するばかり。

 
 パーティー会場は、結婚披露宴もやれるような華やかでしゃれた空間でした。テーブルを見ればコース料理の準備がしてあり、しかもアニメコンテスト関係者の方ばかりが集まるパーティーとあって、私のような人間がいるのは甚だしく場違いな気がしましたが、鈴木伸一先生たちにお会いできると思えば場違いだろうと勘違いだろうと畑違いだろうと何だろうと、そんなものはまるで苦になりません。私は、このブログで「koikesan」と名乗っているほど小池さんに愛着を持っているので、リアル小池さんである鈴木伸一先生とじかにお会いできるなんて、とてつもなく感動的で奇跡的で幸福で稀有な、かけがえのない機会なのです。まさに、koikesanが小池さんに会う! という最高のシチュエーションを迎えられるのです(笑)


 参加者は40名以上いらっしゃったと思います。座る席はくじで決められ、私は鈴木先生や松谷社長のテーブルから最も遠い位置になってしまいました。でも、そんなことであきらめてしまってはおしまいです。パーティーが佳境に入った頃合に、なんとか鈴木先生に近づかせていただこうと、虎視眈々と機会を狙うことにしました(笑)
 それまでは料理やビールを堪能し、同じテーブルになった方々と会話を交わして楽しむことに。同じテーブルには、市内の小学校の校長先生や岐阜県の職員の方がいらっしゃいました。その校長先生は、アニメやマンガへの造詣が深く、ジャンルの黎明期に登場した古い作品はもとより、大友克洋以前以後とか『魔太郎がくる!!』の社会性といった話題までお相手してくださって、非常に心が盛り上がりました。こんなにもアニメやマンガに理解のある校長先生がいる小学校が羨ましいなあ、としみじみ。
 バイオリンの生演奏を聴かせていただいたのですが、その曲目のなかに『鉄腕アトム』の主題歌もあって聴きほれました。



 パーティーが残り1時間となったところで、私はいよいよ決起。校長先生のエールを得てビール瓶を持ち、いざ鈴木先生たちのいるテーブルへ出陣! などと勇ましいことを言ってますが、内心は心臓がバクバクでずいぶん緊張していたのです(笑)
 鈴木先生のそばに近づいて、「あの〜、図々しいですがお仲間に入れていただけませんか」と声をかけさせていただきました。すると、鈴木先生の正面に座る松谷社長が、「ここにおいで」と手招きして鈴木先生の隣に座るよう促してくださいました。私はそれに甘えて、空いた椅子を運んできて鈴木先生の隣に座らせていただきました。もうそれだけで私の胸は大感動の嵐です! あの鈴木伸一先生が! 小池さんのモデル人物が! アニメ界の重鎮が! トキワ荘の住人が! スタジオ・ゼロ初代社長が! 杉並アニメーションミュージアム館長が! すぐ横にいる〜!! ああ、幸せ〜。どうにかなっちゃいそう…
 鈴木先生の隣に座れたというだけで大満足だったけれど、せっかく隣に鈴木先生がいらっしゃるのだから、この貴重で得難い時間を使っていろいろとお話したいと思うのが人情です。それから4〜50分ほど鈴木先生を独占状態(笑)

 
 私は嬉しくて楽しくて幸せでしかたなかったのですが、緊張や興奮や酒酔いもあって、鈴木先生に何か失礼なことをしてしまっていたとしたら申し訳なく思います。
 パーティーでの会話なのでどんなお話をしたか書いてしまうのも野暮だと思うのですが、藤子研究やマンガ研究において客観的に意味のあると思われることのみをここで記しておきます。


 藤子不二雄A先生の『まんが道』や『トキワ荘物語』といった自伝的なマンガは、事実に基づいていながら脚色もいっぱいあって、どこまでが事実でどこが脚色なのか知りたい欲求がわいてきます。そこで、『まんが道』『トキワ荘物語』で鈴木先生が出てくる場面の虚実について、一個一個うかがってみました。作品が手元にあるわけじゃないので、場面場面を思い出しながらの質問だったのですが、鈴木先生はにこやかに丁寧に答えてくださって、本当にありがたかったです。



■『まんが道』における鈴木伸一先生


・作中場面:トキワ荘を訪れ、満賀道雄才野茂と初めて対面し、ディズニーの素晴らしさについて熱く長く語る。
・現実:実際に初対面でこれほど熱く語ったかどうかわからないが、ディズニーが好きだったので藤子先生にその魅力を語ったことはあったと思う。『まんが道』では満賀・才野の2人と同時に会っているが、実際の初対面時は安孫子先生一人だけだった。藤本先生は病気で寝ていて会えなかった。トキワ荘のテラさんを訪ねたとき、テラさんが向かいの部屋の安孫子先生を呼んでくれて、それが初対面となった。


・作中場面:横山隆一先生のおとぎプロの入社試験で「カバのサカダチ」の絵を描く。
・現実:実際はカバの逆立ちではなくウマの逆立ちだった。しかも、ウマの逆立ちの絵をその場で描いたわけではなく、横山先生から「絵のバランスの勉強のためにウマの逆立ちを描いてみるといい」とアドバイスを受けたのみ。安孫子先生は持ち前のイマジネーションを働かせて「鈴木伸一先生は入社試験でカバのサカダチの絵を描いた」というエピソードへと脚色したわけである。



●『トキワ荘物語』における鈴木伸一先生


・作中場面:体にふとんをグルグルと巻きつけて先のとんがった帽子をかぶり、「アラビヤのモスクでござーい」と芸を見せる。
・現実:実際にああいう帽子をかぶっていたが、モスクの芸はやっていない。体にふとんをグルグルと巻きつけるのではなく、一枚のふとんを二つ折りにしてその間に挟まって寝たことならある。



 あと、「ラーメンで特にお好きな味とか銘柄とかありますか?」との質問には、「特にはないが、シンプルな普通のラーメンが好き」と答えてくださいました。鈴木先生以上に藤本先生がラーメン好きだったようです。
 トキワ荘森安なおや氏と同じ部屋で暮らした期間は2ヶ月くらいだったそうです。森安氏は居候の身なのに、森安氏の持参した机のほうが鈴木先生のものよりずっと幅を利かせていた、というエピソードが印象深いです。


 感動のパーティーも終わりが近づき、私はおもむろに色紙を取り出して、「鈴木先生の自画像を描いていただけると幸せです」と頼みました。鈴木先生は「今はお酒を飲んで手元がおぼつかないから、ホテルに戻って落ち着いてから描くよ」とおっしゃって、色紙をホテルまで持って帰ってくださいました。翌日、アニメコンテストの会場で、完成したサイン色紙を手渡していただくことに。私は、色紙のほかに、鈴木伸一先生の対談記事や関連記事をコピーしてクリアブックに入れたものを「もしよかったら読んでください」と渡しました。



各務原イベントレポその2へ続く)