オバマ大統領就任と『T・Pぼん』

 20日正午(日本時間21日午前2時)、バラク・オバマ氏が、アメリカ合衆国第44代大統領に就任しました。

 アメリカ建国史上初めての黒人(黒人の父親と白人の母親との混血)大統領の誕生は、かつて奴隷制を敷き、奴隷解放から現在に至るまでも根深い人種差別問題を抱えつづけるアメリカにおいて、歴史を画期する出来事といえるでしょう。
 アメリカ型資本主義経済が破綻し、そこから端を発した金融・経済危機が世界を覆い、20世紀に君臨した大国アメリカの威信が揺らいでいるこのタイミングでのオバマ氏就任というのは、どこかシンボリックですらあります。閉塞感の深まるこのご時世ですから、「彼なら風穴を開けてくれるのでは」という期待感が高くて熱を帯び、オバマ氏にヒーロー的なイメージを投影する論調がよく見られます。私も、アメリカ史上初の有色人種の大統領誕生という事実に大きな歴史的意義を感じますし、演説が巧みで年齢の若いオバマ氏に、ある種のヒーロー的な期待を(情緒的には)抱いたりもします。


 しかし、オバマ氏がいかにシンボリックで颯爽とした大統領であったとしても、日本の天皇のような非権力的な“象徴”と違って、アメリカ大統領となれば強大な権力を握っています。アメリカ国民ばかりか世界中の人々の命運を左右するリアルな存在ですから、今後の彼の政策には、やはりシビアな視線を投げかけざるをえないでしょう。
 アメリカが、あらゆる外国のなかで最も日本への影響力が強い国である以上、オバマ大統領が日本に対しどんな態度をとってくるか気がかりです。オバマの所属する民主党は、前大統領ブッシュの共和党と比べ、日本に対して冷淡だと一般的には言われていますし、オバマ保護主義貿易を強化するのではという懸念も聞こえてきます…。私がそういう話をしたとき、知人が「互いに関税協定を結ぶなどして自国の産業を保護できるようになれば、保護主義的貿易もむしろ歓迎したいくらいです」と、保護主義貿易といっても相互主義的なものがあることを示唆してくれました。また、「民主党だからといって日本に冷たいというのは気にしなくてもいいと思います。主に共和党との関係を重視する日本の親米保守層が吹聴してきたという側面が否めないので…」と、“民主党が日本に冷たい説”が生じた背景の一端を指摘してくれました。他の知人は「オバマ民主党の中では比較的親日だったはず」と教えてくれました。そういう助言で、オバマ大統領への懸念がいくらかやわらぎました。
 今後オバマ大統領がなすであろうことに期待を抱きつつ、同時に懐疑や警戒の念を忘れずにいようと思います。過度に幻想を膨らますことなく、かといって過度に否定的になることもなく、できるだけ是々非々の態度の見ていきたいです。



 ともあれ、北米大陸の先住民である有色人種(アメリカ・インディアン)から土地を奪うことで国を成立させ、アフリカから連れてきた有色人種(黒人)を奴隷化することで富を築いてきたアメリカ合衆国の歴史のうえで初めて有色人種の大統領が誕生したこと、そして、ブッシュよりは理知的で思慮深く、戦争から距離を置き、マイノリティへの理解が深いであろう人物が大統領に就任したことに対して、とりあえず私は歓迎の気持ちでいます。(オバマは戦争否定論者ではないようで、自国あるいは世界の平和を獲得するという名目で戦争を行使する可能性があることは、いろいろなところで指摘されていますが…)


 ちなみに、映画や小説などの虚構内では、すでに黒人大統領が何度も描かれていますよね。虚構の黒人大統領で私の印象に強く残っているのは、映画『ディープ・インパクト』でモーガン・フリーマンが演じたトム・ベック大統領です。



 ここで藤子マンガの話題に結び付けていくと、藤子F先生の『T・Pぼん』には「奴隷狩り」という話があって、まさにアメリカの奴隷制が題材にされています。“古代社会は奴隷制が当たり前だった”“古代社会は人間が野蛮に見えて嫌だ”という物語の導入部から、19世紀の文明社会になってもなお奴隷制を敷くアメリカへと舞台が移されます。1861年アメリカでした。当時は、奴隷制を認める奴隷州と、認めない自由州にわかれていた、と作中で解説されます。
 奴隷制の実態を知り、その想像以上の残酷さ・悲惨さに打ちのめされたユミ子のセリフ「古代世界とちっとも変わらないじゃない 人間なんて何千年たっても同じことを……」が胸に迫ります。
 物語の終盤になって、この年(1861年)から南北戦争が始まりやがてアメリカの奴隷制が終わりを告げる、と主人公ぼんの口から説明されます。そしてラストページ、「やはり歴史っていい方に向かって進んでるんじゃないかしら。少しずつ少しずつだけどね」というセリフが語られて、わずかながらでも希望を感じることができるのです。
 このたびのオバマ大統領就任は、歴史が少しずつでも良い方向へ進んでいることの証左だと信じたいです。
 この、少しずつだけれどよい方へ進んでいるという歴史観は、藤子F先生の人間観にも通じています。F先生は、大人になったのび太に“自分の人生は失敗しては反省しまた失敗しては反省しという繰り返しばかりだけれど、少しずつでもましにはなってきている”と語らせています。人間の歴史も個人の人生も、失敗と反省の繰り返しでその歩みは遅いながら、俯瞰的に見れば少しずつでもましになっていくものだ、というのが藤子F先生の根底にある世界観だったのでしょう。そのへんのことについては、以前当ブログで取り上げていますので、よろしかったらご覧ください。
 ■「りっぱなパパになるぞ!」
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20060429


T・Pぼん』には「最初のアメリカ人」という話もあって、もともとカムチャッカ半島で暮らしていたモンゴロイドベーリング海峡から北米大陸へ渡り、アメリカ・インディアンの先祖になる、という題材が扱われています。
 そういえば、ネイティブ・アメリカンであるアメリカ・インディアンやエスキモー、ポリネシア人たちの中から大統領が誕生するときが今世紀中に訪れるだろうか、なんて話も知人とのあいだで出ました。