台風のフー子

 本日早朝、大型の台風18号が私の住む愛知県を直撃しました。台風の中心が愛知県を通過するのは5年ぶり、上陸地点が愛知になったのは12年ぶりだそうです。幸い私の身辺で被害はなかったのですが、被災された方もいらっしゃるのでよかったとばかり言ってられません。台風の被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。


 藤子マンガと台風というと、真っ先に思い浮かぶのが『ドラえもん』の「台風のフー子」てんとう虫コミックス6巻などに収録)です。
 この作品でまず特筆すべきは、「台風」という気象現象をキャラクター化している点です。気象現象である台風を生き物とみなしてペットにする、という発想が面白いのです。台風が卵から生まれるとか、台風に犬のようなしつけをほどこすとか、そうしたシーンが“すこしふしぎ”な感覚をにじませていますし、ほのかに笑いを誘うギャグにもなっています。
 そんなシーンを読んでいると、なんだか台風をペットにするのもいいなあ、なんて感じられてきます。藤子F先生は、ご自分のマンガのなかで、非日常的な存在を日常化するという試みを意識的になさっていました。『オバケのQ太郎』ではオバケの日常化、『パーマン』ではスーパーヒーローの日常化、『ウメ星デンカ』では宇宙人の日常化を行なっています。F先生がおっしゃるには、『エスパー魔美』ではヌードの日常化に挑んだということです^^ その伝でいけば、「台風のフー子」は台風の日常化を試みた作品ということになりそうです。


 考えてみれば台風というのは、さまざまな気象現象のなかでも、擬人化というかキャラクター化するのにたいへん向いた素材なのかもしれません。テレビや新聞などのマスメディアで、熱帯地方の海上で台風が「誕生」したことが伝えられるし、その後日本の近辺へ向かって「移動」してくる過程も報じられるため、台風があたかも意思を持って日本に向かってきているようなイメージが喚起されます。また、台風の中心付近は「台風の目」と呼ばれます。「誕生」や「移動」がマスメディアで大々的に報じられ、しかもそれ自体が「目」を持っているとなれば、それはもうまるで生き物です。
 台風のフー子は、「台風の目」に当たる部分が本当の目玉になっていて、生き物らしく描かれています。そして、その目玉についた長いまつげが、女の子を表象しています。


 のび太は、動物や異生物と仲良くなることを得意とする少年です。台風のフー子とも親しくなって絆を深めていきます。しかし、そうやって仲良く過ごせる日々が順風満帆に持続するわけではなく、フー子が台風であるがゆえの問題が発生します。いくらフー子がかわいらしくて人懐っこくても、やっぱりフー子は台風なのだ、というシビアな現実がつきつけられるのです。
 その困難をどうにか克服したのも束の間、最後にフー子との別れが訪れます。その別れは、フー子が自分を犠牲にして野比家を救う英雄的行為によって招かれるものです。
 フー子が消えた瞬間胸に落ちてくるショックや悲しみや喪失感は、かなり大きいです。フー子が消えた場面やのび太が悲しむ場面は非常にあっさり描かれているのに、その場面を読むことで生じる悲しみや感動は不思議なほど深いのです。感動場面をあっさりと抑制的に描いているのに、それでも読者の心に深い感動をもたらすことができるのはFマンガの特質です。Fマンガは、こってりと描きこんでしまいたくなるような浪花節的なシーンを、淡白と思えるほどあっさりと描いて、そのうえで読者の情に深く訴えかけることができる力を持っているのです。