藤子・F・不二雄大全集で『モッコロくん』登場!

 藤子・F・不二雄大全集第2期第6回配本が25日(火)発売されました。
 今月の配本は、『モッコロくん』と『大長編ドラえもん』第2巻です。F全集は基本的に月3冊の刊行ですが、今月は、たまにある2冊月ですね。


●『モッコロくん』(『4じげんぼうPポコ』『ぞうくんとりすちゃん』『つくるくん』『パン太くん』『パパは天さい!』を併載)
 

『モッコロくん』は、私の人生のなかで最も初期に愛読していた藤子マンガなので、思い入れが非常に深いです。小学校に上がる前、小学館の学習雑誌「幼稚園」でリアルタイムで読んでいました。幼いころ私は大の昆虫好きでしたから、昆虫型の不思議キャラクター・モッコロくんが活躍し、ほかにもいろいろと虫が登場するこの作品に魅惑されたのです。
 当時はまだ「藤子不二雄」という作者名にはあまり意識が行ってなかったはずですが、藤子ファンである私にはルーツのような作品であり、数ある藤子マンガのなかでも個人的に特別な位置にある一作であることは間違いありません。
 そんな『モッコロくん』が2005年にぴっかぴかコミックスのレーベルから初単行本化されたときは大いに歓喜しました。雑誌で発表されてから30年ほども未単行本化のままだった『モッコロくん』がついに陽の目を見たのですから、その喜びは絶大でした。
 今回、F全集として刊行されたことで、ぴっかぴかコミックスでは収録から漏れた話も晴れて単行本に収められ、全話読めるようになりました。幼い頃からの『モッコロくん』フリークとして、大きな満足感を得ております。


 同時収録の『4じげんぼうPポコ』『つくるくん』『パン太くん』は、これが初めての単行本収録となります。幼年向けのあどけなくかわいらしく楽しい作品で、カラーページが美しく、読んでいると心あたたまり童心にかえることができます。世知辛い思いから一時的にでも退避できそうです。
『4じげんぼうPポコ』も、連載当時に雑誌で読んだ記憶があります。その当時の雑誌が、ボロボロになりながらも2〜3冊残っています。Pポコは、ドロンパからアク抜きしたようなたたずまいのキャラクターです。
『つくるくん』は、主人公の少年が自分の手で不思議な道具をこしらえるという話なので、藤子F作品の流れのなかでは、幼年版『キテレツ大百科』ともえいるし、『てぶくろてっちゃん』の系譜を汲んだ作品ともいえます。『パパは天さい!』も、不思議な道具系の作品です。
『パパは天さい!』における、世間知らずの発明家のパパとしっかりした息子という関係性は、『きゃぷてんボン』でも描かれていますね。
『パン太くん』は、F先生が絵を描いた第1話だけでなく、ほかの方が絵を担当した回も収録。ネームはF先生が担当したということですね。


 1970年代は、F先生の幼年マンガがたいへん充実した年代でした。この1冊で、その充実ぶりを堪能できます。



●『大長編ドラえもん』第2巻
 
 第2巻は、『のび太の海底鬼岩城』『のび太の魔界大冒険』『のび太の宇宙小戦争』と傑作揃いの一冊です。
 第1巻と同様、カラー原稿がカラーで再現されているのが嬉しいですし、既成の単行本ではカットされていた扉ページが集められているのもよいです。 大長編ドラえもんの時代でも、原稿が見つからないページがあるのがちょっと意外な感じ。
 巻末解説は武田鉄矢さん。名曲『少年期』の創作秘話やF先生とのエピソードが綴られていて、とても感銘を受けました。『少年期』は、武田さんの原風景がドラえもんの世界とシンクロし、さらにこれを聴く人の想いとも重なり合って普遍性を獲得した名曲なのだな、と再認識しました。私が『少年期』を初めて聴いたのは高校生のころでした。子どもから大人になっていく境界期であり、物思いにふけりやすい思春期でもあったので、『少年期』の詞が、曲が、声が、胸の奥底まで刺さって沁み入ってきました。「僕はどうして大人になるんだろう」というフレーズが身に詰まされる現実感で迫ってきました。それでいて優しい気持ちにもなれる曲でした。
 中年になった今聴き返すと、自分の子どもの頃の想いや原風景が再生されるような感覚になって心が共鳴します。不思議な懐かしさや甘酸っぱい切なさ、時間の流れのはかなさなどを感じます。もし小学生のころ『少年期』を聴いていたら、その時の自分の感覚と生々しくリンクしてこの曲の世界観に共鳴していたかもしれません。
 思春期に聴いても、中年になって聴いても、おそらく子ども時代に聴いても、その時その年齢の感性で共感することのできる、そんな普遍性を持った曲が『少年期』だと思うのです。