藤子先生が愛する映画『雨に唄えば』『禁じられた遊び』を再鑑賞

 1952年(昭和27年)に公開された映画『雨に唄えば』と『禁じられた遊び』を久しぶりに再鑑賞しました。

雨に唄えば』は、ミュージカル映画を代表する傑作とされています。私にとっては、藤子・F・不二雄先生が1990年のあるアンケートで“わが青春の洋画ベスト3”のうちの1作に選んでいた作品として心に刻まれています。
 

 この作品は、映画がサイレントからトーキーへ移行する時代(1927年頃)を舞台に、映画業界のなかの人間模様を描いています。それまでサイレント映画をつくっていた人たちが、映像と音声を同期させるトーキーを撮るのですから、そこにはいろいろと困難がつきまといます。そういう面の描かれた場面がとても印象的でした。


 これはミュージカル映画ですから、登場人物たちが歌って踊るダンスシーンが最も華やぎます。ダンスシーンを見せるための映画、といってもよいでしょう。キレがあって躍動的で華麗なダンスが、観る者に元気を分けてくれます。
 映画史に残る名場面といわれるのが、主人公がどしゃ降りの雨に濡れながらタップダンスを踊るシーンです。雨に濡れることなどまったく気にならない、いや、むしろ雨でずぶ濡れになることを大いに歓迎している、といった感じの楽しい雰囲気があふれています。そのほかのダンスシーンも、アクロバティックだったりコミカルだったりダイナミックだったりと、楽しいものでした。


 主人公視点で物語を観れば、この映画は明快なハッピーエンドを迎えるので、上質で楽しいダンスシーンと相俟って、晴れやかな余韻にひたることができます。
 悪役となった女優視点で観れば、サイレント映画ではスターだった彼女がトーキーで通用しなくなるという時代の無情な流れを感じさせて、ちょっと気の毒な印象もないではありませんでした(笑)
 私は、ミュージカル映画というジャンルはどちらかというと苦手というか食わず嫌いというか、好んで観ようとは思わなかったのですが、F先生が『雨で唄えば』をお好きである、ということをきっかけにして、その魅力に触れる機会に恵まれました。F先生に感謝です。


 
禁じられた遊び』は、藤子不二雄A先生が大好きな洋画としてよく挙げる作品です。「文藝春秋」1988年新年特別号では“わが想い出の名画たち(洋画)”の第3位に選んでいますし、他の雑誌(「潮」1990年8月号)では「かつてみたもので、僕にとって最高の映画というと、『禁じられた遊び』と『第三の男』ですね」とおっしゃっています。


 A先生は、この映画をモチーフにして同名の短編マンガを描いています。それは「COM」1971年7月号で発表されました。映画の『禁じられた遊び』で描かれた“幼い女の子が死んだ小動物の墓づくりに熱中してエスカレートしていく”という要素を、A先生流にひねって上質のブラックユーモアに仕上げています。
 映画の女の子は、小動物を埋めた場所に立てる十字架をいろいろと欲しがるようになります。そして、その女の子に恋心を抱く男の子が、女の子の気を引くため、霊柩車に取りつけられた十字架や実際の人間の墓地にある十字架を盗むようになる…というふうに話がエスカレートしていきます。


 映画では、そのように十字架集めの行為がエスカレートしていったのに対し、A先生の短編マンガの女の子は、墓に埋めるための小動物の死骸を欲しがるようになり、生きた小動物を殺す方向へとエスカレートしていきます。(あげくのはてに、さらに恐ろしいことになるわけですが…)
 映画では十字架の集め方がエスカレートし、A先生のマンガでは土に埋める死骸の獲得方法がエスカレートしていくわけです。
(A先生の『禁じられた遊び』で現行の単行本で読めるのは全10ページの短縮版です。雑誌初出版と最初にこの作品を収録した単行本『藤子不二雄ホラー・ファンタジー ヒゲ男』(奇想天外社)版では20ページを超える作品でした。オリジナル版に登場していた“タカシちゃん”が、短縮版では完全に削除されています)


 映画『禁じられた遊び』は、反戦メッセージの作品でもあります。舞台は1940年のフランス。主人公の女の子は、話の冒頭で、ドイツ軍戦闘機の機銃掃射によって両親と愛犬をなくします。
 子どもたちが熱中した墓づくり(十字架集め)が、この映画が描いた直接的な“禁じられた遊び”だったわけですが、そうした子どもたちによる“禁じられた遊び”を通して、本当に“禁じられた遊び”なのは、幼い子どもたちをも悲劇に陥れる“戦争”なのである、とメッセージを投げかけているのでしょう。


 両親が目の前で死んだことを知った女の子の薄めの反応がとても印象に残りました。この反応の薄さは、両親が死んでも悲しくなかったというのではなく、両親の死をよく理解できなかったから、死とは何かということがまだわかっていなかったからこそのものでしょう。そういう反応が、観る者の心に哀切を呼び起こします。
 死の意味を知らなかった女の子が、「死者の埋葬」という儀式を覚えたとたん、異常なまでに墓づくりに執心するようになったのは、やはり両親と愛犬の死という体験が影を落としているのでしょう。


 5歳の女の子に恋心を抱き、この女の子のおねだりに応えて気を引こうとする11歳の男の子のけなげさも印象深かったです。けなげであるがゆえに、最終的には十字架泥棒までしでかしてしまうのですが、それでも最後の最後までなんとか女の子を守ろうとする態度は立派でしたし、彼の気持ちの本気さが伝わってきました。
 そして、男の子の気持ちが本気であるがゆえに、あのラストはいっそう切ないのです。


 A先生もよくおっしゃっていますが、この映画の主題曲『愛のロマンス』がすばらしいです。この曲が流れてくると、感情が揺さぶられます。