新美南吉の言葉から(その1)ほんとうにもののわかった人

 ゴールデンウィークの某日、愛知県半田市の「新美南吉記念館」へ行ってきました。同館は、南吉生誕100年を記念して今年1月にリニューアルされたばかりです。
 
 南吉は、29歳で亡くなるまでに123編の童話を残しました(小説、詩、童謡、俳句、短歌などもたくさん残しました)。
  南吉の童話で最も知られているのは、やはり、教科書採用率が格段に高い『ごん狐』でしょう。『手袋を買いに』『おぢいさんのランプ』『牛をつないだ椿の木』『久助君の話』『花のき村と盗人たち』『狐』『赤い蝋燭』なども代表的な作品としてよく挙げれます。
 それから『デンデンムシノカナシミ』…。皇后美智子様が幼いころよく聞かせてもらった童話、ということで注目されることが多いです。
 
 展示室では、南吉の生涯と文学活動を、原稿や写真、関連図書などの展示から概観できます。
 南吉は多くの日記を書き残しており、そうした日記の中から印象的な文面を抜粋してパネル展示していました。
 私が特に心を動かされた文章はこれです。
 

ほんとうにもののわかった人間は、俺は正しいのだぞというような顔をしてはいないものである。
自分は申しわけのない、不正な存在であることを深く意識していて、そのためいくぶん悲しげな色がきっと顔にあらわれているものである。

 ものがわかるということはどういうことか……その本質をついているような言葉だなあ、と感嘆しました。
「自分はものがわかっている」と思い込んでいる人の態度が好ましくない方向で表に出てしまった場合、その態度は、多くの人から「偉そう」とか「人を小馬鹿にしている」とか「訳知り顔が鼻につく」とか、そんな感想をもって迎えられます。そういうことはまあ、ありがちなことですし、取り立てて問題にすることでもないのだと私は思いますが、ともあれ、そんなふうに態度が不遜なかたちで出てしまう物知りは、南吉のこの言葉に照らし合わせれば“論外の物知り”ということになるでしょう。
 そうではなく、ものをわかった態度がもっと健全でバランスよく表に出る人の場合、その態度は、自分の正しさに誇りを持って見え、自己肯定感に満ちているようで、周囲からも立派に受け止められて、多くの敬意を集めることになると思います。現実の社会をたくましく豊かに生きていくうえでは、もののわかった人がそんなふうにしっかりと自信を持つこと…、ものがわかっていることを他者から尊敬されること…、そのわかったことを他者に授与したり何事かに役立てたりすること…、そういったことのひとつひとつが重要な営みになります。現実的には、俺は正しいのだぞ、というような顔をうまく表出することも必要でしょう。(自分が完璧に正しいと心より思い込んでいる人は厄介ですが・笑)

 
 でも、南吉の言う「ほんとうにもののわかった人間」は、そういう次元よりさらに根源的な領域を見つめている人のことなのでしょう。
 第一線の科学者の書いた本などを読んでいると、「新しい知識を得れば、そのぶん自分が何を知らないかがわかる。だから自分の知らないことをさらに求め、新たにまた知らなかったこと知る。すると、そのたびに、ますます自分が何を知らないかに気づかされる。その繰り返しである」といった意味の言葉によく出会います。
 ソクラテスの「無知の知」という概念も、たぶんそれに通底するものでしょう。人間がわかっていることなど、森羅万象においては、ほんのごく一部です。そう思えば、人間は、自分は、どれだけ何かを知り得ても、限りなく無知に等しい…。そのように自分が無知であることをわきまえている人は、自分がものをよくわかっていると思い込んでいる人よりは、少しはものがわかっていて賢明である……そのことをわきまえたうえで「知」を尊び「知」を愛してやまない……というのが「無知の知」に対する私の理解です。



 我々が日々触れている「知」とは、そのように森羅万象のごく一部でしかないわけですが、もう一つ言えるのは、それは絶対的なものでも不変なものでもない、ということです。
 この点に関して私が真っ先に思い出すのは、藤子・F・不二雄先生のこんな言葉です。

マンガのアイデアは、逆転の発想というか、常識にとらわれないで物事を裏から見てひょいと思いついたものから生まれます。ぼく自身がそういうものの見方を身につけた背景には、小学六年生のときに終戦を迎え、日本全体があっけなくひっくり返った大きな転換を体験したことがあると思っています。この世に変わらない絶対的なものはないんじゃないかとそのとき感じました。
(「児童心理」1996年7月号)

 この世に変わらない絶対的なものはないんじゃないか…。F先生は、それまで正しいと教えられてきたことが一気にひっくり返って間違いだったとされた終戦時の体験から、そのような心理に到達しました。戦時中に子どもだった年齢の人は、大人から教えられる価値観や知識などを特に疑いなく信じ込んでいた世代でしょうから、終戦によるカルチャーショックはすさまじく大きかったことと思います。今まで善だったものが悪とされ、今まで神のごとき存在だったものが人間とされ、今まで正しいと教えられてきたことが誤りだったと言われる……そんな急激で極端なパラダイムシフトを小学6年生で体験してしまったF先生にとって、終戦とは、ものの見方や価値観が一気に転覆する大事件だったのであり、それを機に、絶対的な正しさ、変わらない常識、動かない価値観などはないのだと悟ったのです。
「この世に絶対的なものなどない」という感覚・意識は、F先生の多くの作品に反映し、明に暗に読み取ることができます。


 それから、「知」とは絶対的なものでも不変なものでもない、ということを述べた本として、サイエンス作家・竹内薫さんの著書『99.9%は仮説』(光文社新書、2006年)を思い出したりもします。
 この本は、主に自然科学の領域について述べたものですが、科学的な常識とか科学の定説と言われるものの大半は“仮説”であって、それは新たな仮説によって更新されたり覆されたりするものである、というのです。
 竹内さんの言葉を引用しましょう。

科学の歴史をさかのぼると、科学的に検証されたと思われていた定説が、きれいさっぱり一八〇度くつがえる事例に事欠きません。
 (中略)
 また、われわれの身近な生活をながめてみても、さまざまな定説、いわば常識が、あっという間にくつがえることがあります。
 (中略)
 くつがえるということは、それは定説ではなく仮説だったということです。
 くりかえしになりますが、あなたが科学的に検証されていると思っていることは、すべて仮説にすぎません。また、あなたの頭のなかのいろいろな常識も、すべて仮説にすぎません。

 科学的な常識とか定説とか言われれば、それはもう絶対的で客観的で動かしがたい真実であるかのように感じられるわけですが、実際のところは、現時点において・ある枠組みにおいて・特定の視点において常識なのであって、それは変わりうるものだし、どこか間違っている可能性もあるし、少なくとも絶対的なものではないのです。
 科学的に「ものがわかった」としても、そのわかったことが絶対的なものだというわけではないし、確定的だとも言えないわけです。


 竹内さんの言葉をもう一箇所引用します。

 アインシュタイン相対性理論は「科学革命」と呼ばれていますが、そもそも科学革命というのは、このように、古い仮説を捨てて新しい仮説に引っ越す作業にほかならないのです。

 社会の体制や価値観にも急激なパラダイムシフトがあるように、自然科学の説にも急激なパラダイムシフトがあるのです。
 F先生は、終戦によって日本全体がひっくり返った体験から「この世に変わらない絶対的なものはないんじゃないか」と感じたわけですが、自然科学の領域ですら定説とされていたものが一気にひっくり返ることがあるほどですから、国家の規範や社会の正義や個人の価値観などがひっくり返ることがあっても当然なのでしょう。



 と、ここまで各界の人物の発言・考えを見てきたところで、南吉の話に戻ります。
 南吉の言う「ほんとうにもののわかった人間」は、いま述べてきたような知的態度(「新たな知識を得るたびに自分が何を知らないかがわかる」「無知の知」「この世に変わらない絶対的なものはない」など)を根底に持っていて、それに加え、ものがわかることが悲しみであるような人のことなのだと思います。
 ほんとうにものがわかった人は、「ものがわかる」とはどういことかを直観的に悟っていて、ものがわかってしまった自分に対して厳しく謙虚なのでしょう。ものがわかるいうことがどういうことか常に自分に問うているのかもしれませんし、ものがわかったと思い込みがちな自分を懐疑しているのかもしれません。森羅万象を前にして、自分がいかに何も知らないかということに打ちのめされているのかもしれません。そして、自分の存在の正しくなさ、不確定さ、虚しさを深いところで感じ取り、静かなる哀切に見舞われているのではないでしょうか。


 南吉にとって、ほんとうにものがわかるということは、自分の存在の申し訳なさに思い至り、悲しみを一つまた一つと増やすことなのだ……南吉の日記の言葉に触れて、私はそう感じた次第です。
 

 ものがわかることの悲しみ……。南吉のこの考えがよくあらわれた彼の童話のひとつが『久助君の話』でしょう。
 主人公の久助君は、友達の兵太郎君と長いあいだ取っ組み合いをして遊んでいました。取っ組み合いを終えたとき、久助君があらためて兵太郎君の前に立つと、目の前にいる少年は兵太郎君じゃない、見たこともない少年だ、兵太郎君だと思い込んでこんな知らない少年と半日取っ組み合っていたとは……と驚きを感じます。世界が裏返しになったような驚きです。
 そう感じたのも束の間、やはり目の前の少年は兵太郎君でした。
 久助君はホッとしますが、それからの久助君はこう思うようになります。
「わたしがよく知っている人間でも、ときにはまるで知らない人間になってしまうことがあるものだ」「そして、わたしがよく知っているのがほんとうのその人なのか、わたしの知らないのがほんとうのその人なのか、わかったもんじゃない」と。
 これは久助君にとって「一つの新しい悲しみであった」のです。


 さらに私は、八木重吉のこんな詩を思い出しました。

 わたしの まちがひだつた
 わたしのまちがひだつた
 こうして 草にすわれば それがわかる
 (詩集『秋の瞳』(1924年)より)

 この詩からも、本当にものがわかってしまった人の悲しみが伝わってきます。
 草に座った瞬間、私が間違いであった、と悟ってしまった驚きと悲しみ。このときの八木重吉の顔には、南吉の日記にあったような“自分は申しわけのない不正の存在であることを深く意識していくぶん悲しげな色”が浮かんでいたのではないかと想像します。



 南吉の言う「ほんとうにもののわかった人間」ってどんな人のことだろう、というちょっとした疑問から、以上のような雑感を巡らせてしまいました(笑)
 私は、歳を重ねるごとに記憶力が衰えていくのを実感していますし、記憶力の問題を超えたところで、何だかますますいろいろなことがわからなくなってきていますから、ものがわからないことの悲しみに日々みまわれています(笑)ただこうやって、プラグマティックには役に立ちづらそうなことを考えるのは何歳になっても好きでして、そういうところだけは変わらなくて、何とも救いようがない気がしております。そうして、ゴールデンウィークにこういうことを考えていられるのは実にありがたいことだ、と多方面に感謝しております。


(その2につづく。次回はもう少し藤子作品について言及する予定です)
 ■「新美南吉の言葉から(その2)藤子Fマンガが描く正義」
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20130509



 ●雑誌記事情報
 本日(8日・水)発売の「an・an」5月15日号に「究極の癒し漫画 ドラえもん大研究」という8ページの記事が載っています。癒しのひみつを徹底分析、映画・コミックのほっこり名場面、藤子・F・不二雄ミュージアムに行ってみた!など。中川翔子さん入魂のドラえもん&ドラミちゃんイラストも。