『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス愛蔵版』9巻

 2月1日、『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス愛蔵版』9巻が発売されました。

 全10巻のシリーズでついに9巻まで来ました。

 今巻の初版限定別冊は、『宇宙船製造法』の雑誌初出版。われわれが読み慣れた単行本版は全50ページですが、雑誌初出版は全30ページでした。

 その差、なんと20ページ!

 単行本収録時にページ数が増えた度合いは、藤子F先生のSF短編のなかでも随一です。50ページという全体のボリュームもSF短編のなかでトップです。

 総ページ数が多く、加筆修正量も多いぶん、雑誌初出版と単行本版を読み比べる醍醐味もまた大きいです。

 

 単行本版には、夕食のあと志貴杜が緊急会議を提案し、やりたい放題の乱暴な堂毛を一週間の禁固刑に処するシーンがあります。そのシーンは4ページほどあるのですが、これが雑誌初出版だと緊急会議はなく、志貴杜、小山ら仲間みんなで就寝中の堂毛を取り押さえて一週間の禁固刑にします。その行ないがわずか数コマで描かれています。

 堂毛の禁固刑が決まったあと志貴杜が熱戦銃をあずかって少年少女集団のリーダーになります。志貴杜が熱戦銃をあずかるコマから、彼が収穫量の少ない作物を見て「たったこれだけ?」と怒るコマまでが、単行本版では4ページ半ほど使って描かれるのに対し、雑誌初出版はたったの3コマです。

 そのあたりのシーンを読み比べてみたとき、単行本版を読み慣れた目からすると雑誌初出版のあっさりさに驚かされます。

 

 物語の終盤、小山が宇宙船を勝手に操縦し始めたとき、単行本版では志貴杜が小山の左腕を撃って勝手な操縦を止めようとします。それに対し、雑誌初出版には志貴杜が小山を銃で撃つ行為はなく、その行為そのものが単行本化のさいの加筆だとわかります。

 流氷に宇宙船をどっぷり沈み込ませるシーンも、雑誌初出版では具体的に描かれていません。

 また、氷に包まれた新造宇宙船の飛び立ちに成功してみんなで喜び合う一コマについては、雑誌初出版より単行本版のほうがみんなの喜びようがより強調されて描かれています。

 そしてラストシーン。みんなから離れて一人でいる志貴杜の表情に、雑誌初出版と単行本版でとても印象的な差異があります。どちらのラスト、どちらの表情が好みか、読者によって意見が分かれそうです。

 

 

 『宇宙船製造法』を描いたのはジュール・ヴェルヌの小説『十五少年漂流記』の影響から、と藤子・F・不二雄先生は語っています。藤子F先生にとって『十五少年漂流記』は「小さい頃小説というものを読んだ最初の作品だった」そうです。

 幼少のころ『十五少年漂流記』を読んで面白く感じた記憶を、藤子F先生は『ドラえもん』の「人間ブックカバー」という話でのび太に託して描いています。

 のび太は、活字ばかりの本を手に取っただけで気が重くなりページをめくっただけで頭がズキンとし2〜3行読むと目が回り始め1ページも読まないうちに眠ってしまいます。そのくらい、活字本が大の苦手なのです。ところが、『十五少年漂流記』で生まれて初めて活字本の面白さにめざめます。先が気になって読書を止められなくなって、ママに「夜ふかししちゃいけません!」とたしなめられるほどです。

 

 じつは私も、生まれて初めて「面白い!」「早く先を読みたい!」と感じながら夢中で読んだ小説が『十五少年漂流記』でした。ですから、「人間ブックカバー」で描かれたのび太の気持ちに、他人事と思えないくらい共感します。

 

 

 ここで『宇宙船製造法』の話からちょっとズレますが、「人間ブックカバー」には『赤毛のアン』の本がアップで描かれる一コマがあります。その『赤毛のアン』の本の表紙を見ると、訳者の名前が「安岡みえ子」となっています。

 安岡みえ子? 

 この名前は、当時の藤子先生のアシスタントさんのものを借用したお遊びです。ほんとうの訳者である「村岡花子」の少し強引なモジリでもあります。「岡」と「子」の文字が合致しており、ひらがなで読むと、どちらも姓が4文字、下の名前が3文字です。

 「安岡みえ子」の正式な表記は「安岡三恵子」さんです。

 安岡さんのお名前は「安岡医院」「安岡電機」「安岡書店」などのかたちで『ドラえもん』の背景に(とくに電柱の看板として)たびたび登場します。その安岡さんのお名前が、「人間ブックカバー」のなかでは『赤毛のアン』の訳者として堂々と使われたわけです。

 

 藤子作品的に『赤毛のアン』といえば、SF短編の『赤毛のアン子』(『アン子 大いに怒る』に改題)がただちに思い浮かびます。このタイトルが、明らかすぎるほど『赤毛のアン』から来ていますから。

 来たる3月1日発売の『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス愛蔵版』10巻の別冊は、この『赤毛のアン子』の雑誌初出版なので楽しみですね。

 https://www.shogakukan.co.jp/books/09179418

 

 

 「人間ブックカバー」の話を続けましょう。

 この話でのび太は、本になるのを嫌がっていた出木杉を、タイムマシンで未来の世界へ連れて行ってあげます。その交換条件として、出木杉に本になってもらう約束をとりつけるのです。

 未来世界へ行けることになったときの出木杉の「ワーイ、うそみたい」という喜びようがとても印象的です。『大長編ドラえもん』で展開される異世界での冒険にいつも同行できない出木杉ですから、めずらしく異世界(この場合は未来世界)へ連れて行ってもらえたときの喜びはとてつもなく大きかったことでしょう。「のび太専用の本にならなければならない」という屈辱を承諾してしまうほどに。

 

 藤子F先生が執筆した映画『のび太の恐竜』のシナリオ第一稿では出木杉の活躍も書かれていたそうです。ところが、完成した映画では出木杉の出番は省かれてしまいました。出木杉を冒険へ連れて行くと、直面する問題や危機がほとんど彼の頭脳によって解決され、他のキャラクターの活躍のしどころが著しく減少してしまうため、そうした作劇上の事情から、結局出木杉を登場させなかったのでしょう。

 出木杉を冒険に連れて行かない、というセオリーは、その後の映画ドラえもんでもずっと踏襲されています。

(映画『のび太の宇宙小戦争2021』のラストで、冒険に同行できなかった出木杉の立場にスポットが当てられていたことも思い出されます)

 

 と、そんなふうに出木杉のことを語ったところで、ふたたび『宇宙船製造法』の話につなげます。

 あるSNSで2人の方からこんな興味深いご意見をいただきました。

 

・Tさん「『宇宙船製造法』の小山と志貴杜って、ドラえもんがいない世界ののび太出木杉だと思うのですよ…。」

・Gさん「その一編(『宇宙船製造法』)が、出木杉のび太の人間関係に関していろんな深読みをされるきっかけになっています(笑) https://togetter.com/li/1414416

 

 なるほど! この話題でみなさん盛り上がっていますね。

 

 『宇宙船製造法』の初出は「週刊少年サンデー」1979年2月18日号で、出木杉の初登場は「月刊コロコロコミック」1979年9月号です。この2つは、だいぶ近い時期の出来事なのです。同じ年に書かれた映画『のび太の恐竜』シナリオ第一稿(1979年9月22日脱稿)に出木杉が登場していたことも、合わせて思い出されます。

 『宇宙船製造法』で小山と志貴杜の関係を描いた藤子F先生は、「お、この関係、応用できそうだな」との感触を得て、およそ半年後、出木杉を『ドラえもん』の作品世界へ投入したのかもしれません。小山と志貴杜の関係性をのび太出木杉の関係へとスライドしたように思えるのです。

 

 上掲のGさんからは、

 「今の人に(『宇宙船製造法』を)読むきっかけを作ってもらうには、「マンガ大賞2019を受賞した篠原健太の『彼方のアストラ』はこの藤子・F・不二雄『宇宙船製造法』が着想のもとになったそうですよ」という情報を広めるのがよさそうです」

 とのコメントもいただきました、

 『彼方のアストラ』は今世紀のマンガの大傑作だと思いますし、個人的にとても好みの作品で、2017年(だったかな)発売の「このマンガがすごい!」でも票を投じたくらいなので、「『彼方のアストラ』は『宇宙船製造法』がアイデアの発端です」と篠原健太先生が名言してくれたのを知ったときは、たいそう嬉しかったものです。

 『彼方のアストラ』も『宇宙船製造法』も、もっともっと読まれてほしい作品です。

 

※こちらのインタビューで篠原健太先生が藤子作品からの影響を語っておられます。

 https://news.livedoor.com/article/detail/16954003/