赤毛のアン展

 5月1日(木)から12日(月)まで名古屋駅のタカシマヤ10階特設会場で開催されている日加修好85周年「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」へ行ってきました。
 
 現在NHK連続テレビ小説花子とアン』が大人気放映中とあって、会場はかなり混雑していました。観覧者の95%以上が女性でした(^^


 同展は、『赤毛のアン』の著者であるL.M.モンゴメリと、日本語版の翻訳者である村岡花子の2人の生涯にスポットを当てたもの。順路の前半がモンゴメリ、後半が村岡花子に関する展示で、最後のところに少し『赤毛のアン』の作品世界を紹介するコーナーもありました。


 直筆原稿、直筆書簡、日記帳、蔵書、著書、愛用品、写真などが展示されていました。いろいろと興味深いものがありましたが、モンゴメリの品ではやはり『赤毛のアン』の直筆原稿に胸が熱くなりました。マシュウに連れられてクスバート家にやってきたアンが初めてマリラに会う場面の原稿でした。
 多忙なモンゴメリが、いつでもどこでも原稿を書けるように持ち歩いていた携帯用の机にも目を惹かれました。


 村岡花子は、熱狂的な恋愛のすえ結婚しています。結婚相手になる男性(村岡儆三)とおよそ70通の恋文を交わしたのですが、その直筆恋文も一部が展示されていました。熱烈な恋文まで公開されてしまうのは、歴史的な著名人の逆らえない運命ですね(^^
 ドラマ『花子とアン』では仲間由紀恵さんが演じる葉山蓮子が強烈な存在感を放っていますが、この蓮子さまのモデルとなったのが柳原菀子(歌人柳原白蓮)です。花子と菀子がやりとりした直筆の手紙も見ることができました。
 花子と菀子は“腹心の友”でした。腹心の友という語は花子が訳した『赤毛のアン』に何度も登場するので、読んでいると印象に刻まれます。ドラマでもこの語が意識的に使われているのです。


 花子は、ラジオ番組『子供の時間』のワンコーナー「コドモの新聞」に出演し“ラジオのおばさん”として親しまれていました。そのときの音声を(およそ1分間だけですが)聴くことができたのもよかったです。ドラマ『花子とアン』で毎回最後にナレーションの美輪明宏さんが「ごきげんよう、さようなら」と言いますが、これは花子がラジオ番組の締めで使っていた言葉です。
 モンゴメリと花子の部屋が再現されているのも面白かった!


モンゴメリと花子の赤毛のアン展』の会場内で、ドラマ『花子とアン』の原案『アンのゆりかご ―村岡花子の生涯―』の著者・村岡恵理さんのトークを聴くことができました。恵理さんは、村岡花子のお孫さんにあたります。気品漂う、美しい方でした。
 ドラマ『花子とアン』は、村岡花子の生涯を大幅に脚色したフィクションなので、当然ながら史実と異なるところがいっぱいあります。そんななか、恵理さんがドラマで取り上げてほしかったけれど省かれたエピソードは“村岡花子が短歌を学んだ時代があって、一時は歌人になろうとさえ思っていた”ことだそうです。この経験が翻訳者・村岡花子の礎になったのだとか。
 また、ドラマでは吉高由里子さん演じる主人公“安東はな”の腹心の友として葉山蓮子(柳原菀子がモデル)が登場しますが、現実の“安中はな(村岡花子の結婚前の本名)”にはもう一人腹心の友がいたことも今回のドラマでは描かれていません。そのもう一人の腹心の友は“片山廣子”。松村みね子というペンネームでアイルランド文学の翻訳者として活動した人物です。この人が花子を近代文学の世界へ導き入れてくれたのです。
 トークの最後に質問コーナーがありました。「村岡花子の本名は“はな”ですが、なぜ“花子”というペンネームを使ったのですか?」と訊いた方がいました。花子はこのペンネームにした理由を明確には書き残していないのですが、恵理さんは、当時は「子」という名がモダンで垢抜けたイメージがあって、皇族の女性も「子」を付けており、そこに憧れがあったのではないか…とお答えになりました。


 トーク終了後、恵理さんのご著書にサインをいただきました!
 
 ありがとうございます♪


 ここから、今回の『赤毛のアン展』を藤子ファン目線で見ていきたいと思います。
 赤毛のアン藤子不二雄といえば、ただちに思い浮かぶのが藤子・F・不二雄先生のSF短編『赤毛のアン子』(初出:「週刊少女コミック」1974年50号/単行本収録のさい『アン子 大いに怒る』へ改題)です。このタイトルは、明らかすぎるほど『赤毛のアン』から来ています(笑)『赤毛のアン』のモジりというか、『赤毛のアン』に「子」を付けただけですから、とてもダイレクトですね。
 ストーリーや世界観は『赤毛のアン』とは別物で、主人公が“赤毛の少女”というところからF先生は単純に発想して『赤毛のアン子』というタイトルを付けたのでしょう。で、単行本化のさい、このタイトルではちょっとダイレクトすぎるかも…という思いが去来したのか、『アン子 大いに怒る』と改題したのです。
 そして、『赤毛のアン子』をプロトタイプとして描かれた藤子F作品が『エスパー魔美』になります。
ドラえもん』の「人間ブックカバー」では、「もっと活字に親しみなさい」と先生に言われたのび太が、しずちゃんから『赤毛のアン』を借ります。この『赤毛のアン』の本は「モンゴメリー作・安岡みえ子訳」と記されているのですが、「安岡みえ子」とは当時藤子スタジオに在席していたアシスタントさんのお名前です。現実の翻訳者「村岡花子」と比べると、「岡」「子」がかぶりますね(笑)


赤毛のアン展』でこんなエピソードが紹介されていました。
 村岡花子が息子を亡くして落ち込んでいるとき、腹心の友・片山廣子から勧められていたマーク・トウェインの小説『王子と乞食』を読み始め、まる2日間没頭した。そうして花子は『王子と乞食』を翻訳することになった――。
 トウェインの『王子と乞食』は、藤子不二雄A先生が『こじきおうじ』(初出:「たのしい二年生」1957年12月号別冊付録)というタイトルでマンガ化しています。藤子F先生の『ウメ星デンカ』「こじき王子」では、話の途中でトウェインのこの小説の内容が簡潔に紹介され、デンカがそれを真似します。
 同展では、モンゴメリの蔵書を展示するコーナーもありました。そのコーナーの解説パネルに、モンゴメリは日曜学校のため日曜日の読書が禁じられていたがジョン・バニヤンの『天路歴程』を読むことは許されていた、と書かれていました。『天路歴程』は、大長編ドラえもんのび太の魔界大冒険』に出てくる『魔界歴程』のネーミングの元ネタです。
 そのほか、同展では触れられていなかったと思いますが、村岡花子はサッカレイの『バラと指輪』も翻訳しているようです(村岡花子訳のタイトル表記は『ばらとゆびわ』)。『バラと指輪』といえば、藤子F先生が『バラとゆびわ』という表記でマンガ化していますね(初出:「少女クラブ」お正月増刊号別冊付録)。



※情報
 5月18日まで福岡で開催されている生誕80周年記念「藤子・F・不二雄展」ですが、次は大阪で開催されます。 

・期間:7月19日〜10月5日
・会場:グランフロント大阪北館 ナレッジキャピタル イベントラボ  http://www.fujiko-f80.com/junkai/index.html?true