浦賀和宏作品の中の藤子ネタ

  数日前、浦賀和宏氏の最新作『松浦純菜の静かな世界』講談社ノベルス/2005年2月5日第1刷発行)を購入した。
 浦賀作品は、新刊単行本が出るたびに買って読んでいる。本書は今年2月に発売されたのだが、ぼやぼやしているうちに4月になってしまい、ようやく今になって手に入れたという状況だ。内容については、まだまったく読んでいない。読みたい本がたまりすぎて、パニックになりそう。


 浦賀氏は、森博嗣舞城王太郎西尾維新らを世に送り出した講談社メフィスト賞の第5回受賞者(1998年)で、この賞の出身者らしく、基本的にミステリー作家でありながら、その枠におさまりきらない個性的なエンターテインメント小説を発表している。その作品群は、本格ミステリーの顔をもちながら、ときにはアンチ本格ミステリーだったり、SFだったり、あるいは青春小説だったり、猟奇小説だったりして、読む者を惑乱する。カニバリズムやアブノーマルな性関係を書いていたりもして、不快感を催す読者も多いかもしれない。最近、単行本の刊行ペースがめっきり遅くなってしまった感があるが、今後も追いかけていきたい作家の一人である。


 浦賀作品を藤子ファンの視点で読んだ場合、そこに藤子・F・不二雄マンガの影響を多少なりとも見て取ることができる。
 まず、デビュー作の『記憶の果て』(講談社ノベルスor講談社文庫)では、ささやかな藤子・Fネタではあるが、以下のような文が見つかる。

3−Bの担任で俺の大嫌いな英語を教えている、女教師。可愛くぽっちゃりと太っていたので、クラスの連中は彼女に『ドラミちゃん』とあだ名をつけた。

「君達はロボットと聞いて何を想像する?」
「えーと、やっぱり鉄腕アトムとかドラえもんとかかな……」

 2作めの『時の鳥篭』(講談社ノベルス)は、タイムスリップものという点で藤子・F的であるし、以下のような藤子・Fネタが登場して、おっ!と思わせる。

藤子不二雄のマンガであったなあ……短編のマンガ」
「どんなマンガ?」
「若い頃に戻って、人生をやり直したいと思っている爺さんがいるんだ。毎日毎日過去の、ある選択を後悔している。毎日だぞ。そして遂に……」
「遂に?」
「遂に爺さんは過去に飛んでしまう。後悔し続けている過去の、ある選択をしたその日に」
「お爺さんは……後悔し続けたから……だから過去に戻ってしまったの?」
「ああ……毎日毎日考え続けたから……」
「人間の脳の思考だけで……時間は飛べるのかな」
「こんな話もある。ある発明家の話で……そいつはタイムマシンを創っている」
「タイムマシン」
「うん、でも完成しない。悩みに悩んで、ついに彼は悟った。もはやタイムマシンを創る方法など関係ない、タイムマシンは創れると信じることだ」
「何だか……宗教みたい」
「ああ……信じて信じて信じ抜いて……そして遂に、未来の自分がタイムマシンでやって来て、タイムマシンの創り方を教えてくれるんだ」

 3作めの『頭蓋骨の中の楽園』(講談社ノベルス)では、藤子・F先生のSF短編『創世日記』から、「宇宙を! 地球を! 生命を! 人間を創る装置一式をぜひきみのへやに!!」というフレーズを引用している。


 講談社ノベルス作品以外では、『こわれもの』(徳間ノベルス)の中で『エスパー魔美』の「大預言者あらわるの巻」を下敷きにしたとおぼしきアイデアが使われている。
 また、『ファントムの夜明け』(幻冬舎)の主人公は、超能力をもった女性で、名前を「櫻井真美」といい、その友人で超常現象に詳しい男性の名は「高畑和也」という。その両者の名前から、『エスパー魔美』の「佐倉魔美」と「高畑和夫」を思い出さずにはいられない。
 浦賀作品をこれから読もうという場合、講談社ノベルスで出たものは、基本的にシリーズもの(例外あり)なので、1作めから順番に読んだほうがよいだろう。