二階堂黎人『稀覯人の不思議』と手塚治虫『バンビ』『ピノキオ』

 先月発売された『稀覯人(コレクター)の不思議』(二階堂黎人・著/光文社ノベルス/2005年4月25日初版第1刷発行)を読了した。手塚治虫愛好会のメンバーを軸にストーリーが展開される本格ミステリーで、手塚マンガにまつわる薀蓄や、手塚マニアの生態、古書コレクションの知識が詳しく書かれている。
 著者の二階堂黎人氏は、中央大学在学中、手塚治虫プロダクション主宰の「手塚治虫ファンクラブ」初代会長をつとめたくらい濃い手塚ファンなので、手塚マンガや手塚ファンダムに詳しいのは当然といえば当然である。
『稀覯人の不思議』では、氏の実体験をまじえながら、手塚治虫愛好会をめぐる様々なシーンをリアリティたっぷりに書いていて、藤子不二雄ファンである私や私の友人知人がやっていることと重なり合うシーンに頻繁に出会えるので、本格ミステリー以外の要素でも存分に楽しめた。というか、この作品については、本格ミステリーとしてより、手塚マニアの登場する小説として堪能できた。


 たとえば、こんな文章に親近感をおぼえた。

壁にはほとんど本棚が立てられていて、そこにぎっしりと本が収まっている。本は前後二列で並べられていて、さらに、棚板との隙間にも、横倒しにして本を差し込んである。また、本棚の上にも本が積み上げてあった。天井まで、まったく隙間のない状態だった。

この一風変わった集団の中では、手塚治虫に関するありとあらゆる情報やニュースが、熱い口調で飛び交っている。連載中の新作からはるか昔の作品のこと、新刊本の感想から古本に関する薀蓄、アニメーションの制作秘話や、近々行なわれるサイン会の予定など、内容は多種多様だった。

それが高じて、彼は手塚マニアになったのだ。彼の頭の中では、手塚治虫のマンガは、どんな高名な哲学書や宗教書よりも深遠で高尚なものだった。その中には、宇宙の摂理や、万物の有りようや、人生の縮図が詰まっていた。それも、実に平易な形で。手塚マンガは、彼の心の糧になり、彼は手塚マンガを熱心に集め始めた。

古書収集家なら当然なのだが、誰でも本の状態に細かくこだわる。再販より初版、カバーなしよりカバーあり、箱なしより箱あり、帯なしより帯あり、破れありより破れなし― という具合に。

手塚治虫」と書いてある部分を「藤子不二雄」に置き換えると、まさに自分や藤子ファン仲間のことがそこに書かれているのではと思えてくる文章ばかりだ。
 私の場合、この作品の登場人物が集めているような何万・何十万円もするレベルの稀覯本・希少本はほとんど持っていないが、全蔵書のうち藤子不二雄関連の本が占める割合が圧倒的に高いという意味では、手塚本ばかり集中的に集めている本書の手塚マニアと共通している。
 全蔵書の7割から8割は実家に置いてあったりして、いま自分の蔵書が何冊あってそのうち藤子関連の本が何割を占めるのかよく分からないのだが、2003年の初めだったか大ざっぱに数えたときは、全蔵書が5000冊くらいで、そのうち藤子関連の本(単行本、藤子作品掲載誌、ムック、百科本、藤子関連記事掲載誌、藤子について語られた活字本など)が1500から2000冊ほどあったような記憶がある。藤子不二雄以外のマンガ単行本が1000から1500冊くらいで、そのうちの400冊くらいが手塚治虫先生のもの、小説や詩歌などの文学関係が800から1000冊くらいで、そのほか諸々の書籍雑誌が1000冊くらい、といった感じだろうか。
 だが、あれから2年以上がすぎ、そのあいだにも相当本を買っているうえ、処分した本はほとんどないので、冊数はずいぶん増えているはずだ。せっかく買ったのに一度も読まずに終わってしまいそうな本も結構ありそうで辛い。


 私は古書を買うさい、初版だとか帯だとか美本だとかより、値段が安いこと・とにかく作品が読めることを優先しているが、藤子ファン仲間には、徹底して極美本にこだわっている人や、背焼けだけはどうしても許せないという人がいて、そういう方々の古書に対するする熱狂的なこだわりを聞くのも楽しいひとときだ。


 藤子不二雄関連では、本ばかりでなくグッズの量もバカにならなくなってきた。
 私はサイズが大きくて値の張るグッズはあまり買わず、食品のパッケージやオマケ、文具、日用品、小さめの玩具など、安価で細かなものを中心に集めているのだが、それでもタンスの引出しが3つ満杯になっているうえ、藤子グッズを詰め込んだ段ボール箱が押入れや部屋の片隅に合計20個以上積んであるという有様なのだ。
 フィギュアの一部はテレビやパソコンの上、書棚、カラーボックスなどに飾ってある。いま向かっているパソコンの上には、パーマンのボトルキャップフィギュア(5種)、フルタ「藤子不二雄Aの世界」のプロゴルファー猿笑ゥせぇるすまんケムマキ+影千代、パーチャクマスコットの星野スミレ、ロッテ・クッキーボールチョコのジャイ子、怪物くんのミニソフビ(4種)、チンプイの指人形(5種)、パラソルヘンべえのソフビ、ドラえもん・コミックテイストフィギュアの〝ネズミとばくだん〟、ドラえもん貯金箱、オバQと耳あり黄色ドラのぬいぐるみ(クレーンゲーム用景品)などが所狭しと並んでいる。



 さて、『稀覯人の不思議』は手塚治虫関連本のひとつといえるが、先月発売された手塚関連の本では、なんといっても『バンビ』と『ピノキオ』の復刻版が最大の収穫だろう。 昭和26年鶴書房から出版された『バンビ』と、昭和27年東光堂の『ピノキオ』は、ディズニーとの版権の絡みで復刻は半永久的に不可能、と思われてきた単行本である。そんな幻の手塚単行本が、講談社というメジャーな出版社から、3800円+税という、内容のわりにお値打ちな価格で復刻されたのだから驚きである。しかも、「手塚治虫ウォルト・ディズニー」という資料本もセットになっていて、伝説の雑誌「漫画少年」に掲載された手塚先生のディズニー関連作品まで収録されており、何から何まで本当にすばらしい復刻企画なのである。
『バンビ』のDVDを発売するのに合わせ、ディズニーのほうからこの出版の許諾を持ちかけてきたという話だから、それも吃驚だ。


『バンビ』『ピノキオ』のオリジナル単行本が出版された当時、大の手塚治虫ファンでありディズニーのファンでもあった二人の藤子不二雄先生は、手塚マンガとディズニーアニメが合体したこの両作を、目を輝かせ胸を躍らせながら読んだことだろう。
 この2作に限らず、当時の手塚マンガとディズニーアニメは、藤子先生に多大な影響を与えていて、藤子マンガの直接的な源流ともいえる作品群なのだ。とくに、藤子・F・不二雄先生は、当の手塚治虫先生や相棒の藤子不二雄A先生が劇画的表現や実験的な技法などを取り込んで自らの絵を変革していったのに対し、最後の最後まで、初期手塚マンガや当時のディズニーの絵柄を基盤にしたタッチから離れることなく、その流れの中で藤子・F的なオリジナリティのある画風を確立していった。その意味で、今回復刻された『バンビ』『ピノキオ』は、私が慣れ親しんだ藤子・F・不二雄マンガの絵の原点を垣間見るような思いでもあった。



●雑誌情報
9日のコメント欄へアスリートJさんが情報をお寄せくださったように、只今発売中の月刊「創」6月号に「大刷新!ドラえもんをめぐる版権ビジネス」という記事が掲載されている。『ドラえもん』のアニメ・リニューアルや版権ビジネスについて「創」編集部が、シンエイ動画テレビ朝日小学館小学館プロダクションの関係者に取材している。
 この記事は、「日本マンガはどこへ行く」という特集内のひとつ。マンガの産業的な側面や表現規制の問題に関心のある方は同特集を読んでみる価値があると思う。『ジパング』『太陽の黙示録』のかわぐちかいじ氏や、『鋼の錬金術師』の荒川弘氏のインタビューもある。


 それと、これは現物未確認の情報だが、「創」6月号に載った広告によると、「GALAC(ぎゃらく)」6月号(編集発行・放送批評懇談会/発売・角川書店)という雑誌の「ニュースな人たち」なる記事で、小原乃梨子さんがとりあげられているようだ。