藤子不二雄先生の過去の納税額

 16日(月)、国税庁が平成16年分の確定申告で1千万円を超えた高額納税者を公示、それにともなって各メディアが、「歌手」「スポーツ選手」「作家」など各界の部門別納税者ランキングを発表した。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050516-00000133-mai-soci


 われらが藤子不二雄先生も、ドラえもんブームから藤子アニメブームにかけての時代は、各界別ランキング「その他」部門の常連だった。
 今日は、昭和55年から平成3年までの藤子先生の納税額を、当時の中日新聞やマンガ専門雑誌などで調べられた限りで振り返ってみたい。(注:昭和57年度までは納税額ではなく所得額)

●昭和55年度
 藤本弘   1億7191万円
 安孫子素雄 1億7135万円


●昭和56年度
 藤本  2億1571万円
 安孫子 2億1450万円


●昭和57年度
 藤本  1億9065万円
 安孫子 1億8948万円


●昭和58年度
 藤本  9795万円
 安孫子 9809万円


●昭和59年度
 藤本  1億2956万円
 安孫子 1億2945万円


●昭和60年度
 藤本  1億2796万円
 安孫子 1億2790万円


●昭和61年度
 藤本  1億3274万円
 安孫子 1億3211万円


●昭和62年度
 藤本  1億7936万円
 安孫子 1億2675万円


●昭和63年度
 藤本  7562万円
 安孫子 8246万円


●平成元年度
 藤本  8063万円
 安孫子 ?


●平成2年度
 藤本  ?
 安孫子 ?


●平成3年度
 藤本  1億6672万円 
 安孫子 5340万円

 上記の納税額を見ると、どの年も庶民感覚からすれば天文学的な数字ばかりが並んでいるものの、昭和61年度までは、一年分の二人の納税額の差は、ほとんどが十万円単位以下にとどまっている。逆に、確定申告の時期がコンビ解消後となった昭和62年度からは、ン百万、ン千万という大きな差が認められる。
 コンビ時代の藤子不二雄先生は、藤本先生と安孫子先生、どちらがどんな作品を描きどれだけ仕事をしていようと、収入を半分ずつに分けていたのである。


 
 藤子先生本人の収入にまつわる発言は、もっぱら藤子不二雄A(安孫子)先生が行なっている。

僕たちはどっちがどれだけ描こうと、収入はフィフティフィフティでした。それでトラブルは一切ありませんでした。もしそうでなかったら、とても40年、一緒にやれなかったでしょう。 
(「週刊アサヒ芸能」平成14年9月5日号)


藤本君は僕よりお金に無頓着で、トラブルやけんかは起きませんでした。
(「日本経済新聞」平成14年5月26日)


去年の年収がいくらあったのか、それも知らない。興味がないんです。会社の経理のほうでやっていますが、僕はノータッチなんです。
(「週刊文春」 平成2年7月26日号)

 
 こうした発言からわかるように、二人の藤子先生は、お金に対する執着心が薄いタイプだった。二人がお金に対して淡泊な性格だったため、自分の取り分が多いとか少ないとかで揉めることなく、どちらがどれだけ仕事をしても収入を半分ずつに分けるという習慣を、プロになっても続けることができたのだ。
 そしてそのことが、二人で一人のマンガ家・藤子不二雄のコンビが、長期にわたって活動することができた、大きな秘密のひとつなのである。


 いま、私は「収入を半分ずつ分けるという〝習慣〟」と書いたが、これはまさに〝習慣〟なのであって、きっちりと契約を交わしたシステムではなかった。
 この習慣の始まりは、二人の藤子先生がプロマンガ家としてデビューする以前の投稿少年だった時代までさかのぼる。藤子A先生の自伝的マンガ『まんが道』にも描かれているが、藤子両先生は、雑誌の読者投稿欄に応募したマンガが入選して賞金を得た場合、二人の共同の口座にその賞金を振り込み、そこから必要なぶんを引き出して使うという方法をとっていた。藤子先生は、この共同の口座のことを「公金」と呼んでいた。
「公金」は、藤子先生がプロデビューして以後も続き、仕事で得たお金を「公金」に入れ、そこから二人が同じ金額を引き出すことで毎月の収入としたのである。
 二人が昭和36年トキワ荘を出て川崎市の生田へ引っ越したときも、「公金」から資金を出して土地を買い、その土地を二つに分割して仲良く隣同士に家を建てたのであった。
 そんな、投稿少年時代からの習慣を、年収ン億年というヒットメーカーになってからも当たり前のように続けていた二人の藤子先生の、友情を超えた不思議な結びつきと収入に対するおおらかな態度は、驚嘆に値する。


 藤子不二雄のコンビは、収入の配分法のおおらかさに限らず、他のことでも細かい取り決めなど一切していなかったという。互いの作品について厳しく批評し合うことはせず、合作時代以降の作品の執筆については互いにノータッチの場合がほとんどで、プライベートな面も相互に不干渉だった。
 小学5年生のとき出会って友達になり、趣味で一緒にマンガを描くようになったその歩みの中で、二人のコンビは自然発生的にできあがり、そのままプロデビューを果たして36年間も持続していった… そんな自然体の二人三脚が藤子不二雄なるコンビの内実だったと私は思うのだ。そして〝二人で一人の藤子不二雄〟とは、「契約的」「人工的」にでなく、「習慣的」「自然発生的」に関係を生成していった結合体だったのだとつくづく感じるのである。



藤子不二雄A新作情報
本日発売の「ビッグコミック」6月増刊号に、『サル』の最新作「HOLE NO.36 ゴルフ皇帝 ゼウス・オデッセイ」が掲載されている。