藤子・F・不二雄アートワークス

 当ブログ一昨日の記事で、川崎市藤子・F・不二雄先生の原画展示館を生田緑地に設置することを決めた、というニュースをとりあげた。そのさい、川崎市が2002年度のオープンを目指して準備を進めていた「藤子・F・不二雄アートワークス(仮称)」が頓挫した事実にも触れたが、12月22日付「朝日新聞」神奈川県版によると、今回生田緑地に設置の決まった原画展示館についても「藤子・F・不二雄こと藤本弘さんのアートワークス(展示館)」という表記がなされており、まさに、いったん死に体に陥った藤子・F・不二雄アートワークス構想が、ここにきて息を吹き返した格好になるわけだ。


 もっとも、藤子・F・不二雄アートワークス構想が何度頓挫しようとも、川崎市はいつか藤子・F先生の原画展示館を設置する使命を負ってはいるのだった。なぜなら、F先生のご遺族が川崎市に原画を寄贈した理由が、まさにそのためだったからだ。
 川崎市が原画展示館をつくらなければ、ご遺族がF先生の原画を大量に寄贈した意味が失われてしまうのである。
 そのことは、藤子・F・不二雄夫人・藤本正子さんのこんな発言からはっきりと読みとれる。

インタビュアー「藤子・F・不二雄先生の原画や多くの資料を川崎市に寄贈される経緯を教えてください」
正子さん「主人の三回忌が終わった時点で、残されていた多くの資料を整理して、形のあるものにまとめてみたいと考えていました。最初はこの家を使おうかとも考えたのですが、来ていただく方の交通の便などを思うと、そうもいかないだろうと…。そんな折に川崎市からお話をいただいたのです」
                  (中略)
インタビュアー「寄贈された資料は、どんな形で残してもらいたいとお考えでしょうか」
正子さん「すべて川崎市にお任せしてあります。市民ミュージアムは、環境的にもすばらしい場所ですから、多くの子供たちに来てもらえると思います。わたしも主人や主人の作品に会いたくなったらすぐに行けますからね」
(「神奈川新聞」2001年1月6日)

 この発言を読む限りでは、正子さんは自宅を使ってでもF先生の原画を整理し展示する空間を確保したいとお考えだったようで、そんなとき川崎市のほうから正子さんの希望にかなった話が来たため、原画数万点を川崎市に寄贈することを決めたということなのだ。そんな経緯でF先生の原画を寄贈されたのだから、川崎市は原画展示館を設置する責任を確実に負っているといえるだろう。
 川崎市がF先生の原画展示館をつくるのは遅かれ早かれ必然的な道筋だったのだが、一度頓挫したこの計画が再び動き出すのが10年後とか20年後といった先の話でなく今現在のことでよかったと思う。



 正子さんのこの発言が掲載された「神奈川新聞」2001年1月6日付は、『2002年度 川崎市に「ドラえもんの世界」 藤子・F・不二雄アートワークス(仮称)』と題し、見開き2面を使って大々的に藤子・F・不二雄アートワークス構想を特集しており、大山のぶ代さんと高橋清・川崎市長(当時)の対談をメインに据えている。2人の対談は、ほとんどが『ドラえもん』の話題で占められているが、そのなかで藤子・F・不二雄アートワークスに触れた部分を引用したい。

司会「ところで、藤子・F・不二雄さんのご遺族から寄贈される資料をまとめた施設が2002年度をめざして公開される予定ですが、どんな施設になるのでしょうか」
市長「川崎市には、市民ミュージアムがあります。そこには約4万冊のマンガが収められていて、ポスターや映像などと一緒に保存・公開しています。この施設との共存を考えています」

 川崎市民ミュージアム内に設置される予定だったアートワークスが生田緑地につくられることになったということで、併設から単独の施設に変わったわけだ。どちらがより大規模な施設なのか分からないし、今回の計画については設置場所以外具体的に何も伝わっていないので何とも言えないが、気分的には単独の施設のほうがありがたいような気がする。
 何はともあれ、藤子・F・不二雄アートワークス構想が再び動き出したのはたいへんな吉報である。川崎市の英断に拍手をおくりたい。