ネオ・ユートピアのイベントのため東京へ

 4日(土)、5日(日)と東京へ行ってきた。5日に開催された藤子不二雄ファンサークル「ネオ・ユートピア」藤子アニメ上映会に参加するのが主目的だった。



 4日の昼間は、横浜のNさん、名古屋のHさんと行動をともにした。午前中は、逓信総合博物館〝ていぱーく〟で行なわれている『松本零士コレクションでつづる「漫画誕生から黄金バットの時代」展』を観に行った。これは、松本零士氏が所蔵する漫画関係のコレクションを中心とした展覧会で、日本漫画の誕生からおおよそ昭和30年代くらいまでの漫画の歴史を豊富な資料で概観できる。開催期間は、1月8日〜2月5日。
 松本氏の膨大なコレクションのうち藤子ファンのあいだでとくに有名なのは、なんと言っても藤子先生初の単行本『UTOPIA 最後の世界大戦』(足塚不二雄名義/鶴書房)である。もちろん当展覧会にも出品されていて、私は、ガラスケースのなかに置かれたこの単行本をうっとりとした気持ちで眺めた。本の中身は見られないが、表紙と背表紙、全体の質感や厚み、時代を物語る古び方などを目にしているだけで陶然としてくる。この単行本は、お宝古書漫画の最高峰といってよいもので、私の知る限りでは、300万円とか250万円のプレミア価格がついたことがあるが、松本氏は、発売当時に定価で購入したそうである。



 藤子ファン的にもうひとつの重要展示物は、東京ムービー『タンク・タンクロー』テレビアニメ化企画書である。この企画書で『タンク・タンクロー』のキャラクターデザイン画を描いているのが、他ならぬ安孫子先生なのだ。詳しい解説がないので、どういう経緯で安孫子先生がこの仕事を担当することになったかわからないが、安孫子先生の長年にわたる創作活動のなかでも、この類の仕事は非常に珍しいと思う。安孫子先生が、『タンク・タンクロー』という別作家の漫画作品*1のキャラクターを、実に安孫子タッチあふれる画風で描いているのがたまらない。
 一緒に同展を観覧したHさんの情報によると、この企画書は藤本先生の『ドラえもん』が始まる1年前のもので、結局ボツとなった幻の企画だという。ここでいう『ドラえもん』とは、アニメではなくマンガのことだと推測されるし、安孫子先生のキャラデザイン画のタッチから鑑みても、同企画書は、昭和43年後半から44年初め頃のものと考えられる。この時代は、藤子先生らトキワ荘グループの漫画家が設立したアニメ製作会社スタジオ・ゼロ」が活動していたので、東京ムービーからスタジオ・ゼロに依頼のあった仕事を、なんらかの経緯で安孫子先生が担当することになったのかもれない。



 逓信総合博物館を出ると、立川市都立多摩図書館へおもむいた。この図書館は、国会図書館には著しく所蔵の少ない昭和40年代の「週刊少年キング」を多く所蔵しており、我々は、昭和41年から42年に同誌で連載された『フータくん ナンデモ会社編』*2全話をコピーしに行ったのだった。
『フータくん ナンデモ会社編』は、『フータくん』〝百万円貯金編〟〝日本一周編〟に続くシリーズだが、前の2シリーズがサンコミックス藤子不二雄ランドなどで単行本化されているのに対し、〝なんでも会社編〟だけはいまだに全話単行本未収録のままである。
『フータくん ナンデモ会社編』は全42話が発表され、そのうち2話は「Neo Utopia」25号に再録されているため、我々は残り40話、280ページ弱に及ぶ分量を一気にコピーしようと計画。図書館に入ると、「週刊少年キング」該当号をすべて書庫から出してもらい、3人で分担して『フータくん ナンデモ会社編』掲載ページを調べ、栞を挟みこみながらコピー申込用紙に号数とページ数を記入、そうした作業を終えてからコピー受付に申込用紙と「週刊少年キング」を提出した。コピー作業自体は図書館の担当者が行なうので、我々はそれが出来上がるまで開架の本を見物。藤子先生関連では、『二人で一人の漫画ランド』『二人で少年漫画ばかり描いてきた(文春文庫版)』『藤子不二雄論 FとAの方程式』『藤子・F・不二雄論』『トキワ荘のヒーローたち(1986年豊島区で開催された同展の図録)』『ドラえもん書誌情報(横山泰行教授作成の資料)』などが見あたった。



 コピー代金を支払い『フータくん ナンデモ会社編』のコピーを受けとると多摩図書館を出て、まんだらけ中野店へ向かった。ここで、静岡から来たNさん、大阪のPくんと合流。昨年から藤子イベントでよくご一緒しているUさんとも偶然遭遇した。私は、まんだらけで『アニメ画集・銀河鉄道999 PART4』(少年画報社/昭和54年4月22日発行)と『戦後マンガ民俗史』(藤島宇策・著/河合出版/平成2年3月10日発行)を購入。どちらの本にも藤子先生が文章を寄せていて、私はすでに藤子先生の文章が載ったページのみコピーを持っていたが、東京を訪れた興奮も手伝って、本そのものを買ってしまった*3



 夜は、Nさんの自宅に宿泊することになっていたので、Nさん宅のある横浜へ向かった。途中、新宿駅で下車し、千葉のTさんと落ち合った。
 Nさん宅へ行く前に、新横浜駅近くの新横浜ラーメン博物館で夕食をとった。この博物館の地下には昭和33年の町並が精巧に実物大で再現されていて、その空間に立つとちょっとしたタイムスリップ感覚を味わえる。おいしいラーメンを食べたあと、レトロな町並を散策し、駄菓子屋の前の椅子に座って横丁の風景を眺めていると、実に心地よい気分になれた。昭和33年は、藤子先生がトキワ荘に住んでいた時代とも重なるので、その点でも感慨深い。
 我々がラーメン博物館を出た頃に、兵庫から新幹線に乗ってきたKくんが新横浜駅に到着。駅でKくんと落ち合うと、黒ベエや喪黒福造のようなどす黒い性格をしたKくんが何食わぬ顔でPくんに握手を求めてきた。Pくんがそれに応えてKくんの手を握ると、その瞬間Kくんの右手がぽろりと落ちて、驚いたPくんは思わず悲鳴をあげたのだった。Kくんは、自分で作ったリアルな右手の模型を悪戯の小道具に使ったのである。さすがはブラックキャラのKくん、対面したそばから彼らしいことをやってくれた。そんな彼らしさは、翌日の晩、ネオ・ユートピアの懇親会で大きく炸裂することになる。



 横浜のNさん宅では、皆で買い込んだお酒とおつまみを広げて、小宴会を開いた。それから、この夜のメインイベントである〝ドッキリ作戦〟を敢行。これは、気に入った人間をイジるのが大好きなNさんが企画したお遊びで、Nさんはこの作戦のため手間のかかる小道具を作成したり雰囲気を盛り上げる音楽を用意したりと入念に下準備をしてきた。ドッキリのターゲットは大阪から来たPくん。実際に作戦を始めると、PくんはNさんの思惑どおり見事にドッキリに引っかかり、本気で慌てたりショックを受けたり呆然としたり。テレビのドッキリ番組に倣って言えば、〝ドッキリ大成功!〟といったところだろう。
 ドッキリを仕掛けられたPくんは、ドッキリの最中はパニック状態だったけれど、その晩眠って翌日くらいになると、「とてもおもしろかった」「一生の思い出に残る夜になった」「友達はありがたい」などと心から喜んでくれるので、ドッキリの仕掛人を演じた我々もあたたかい気持ちになれるのだった。




 5日(日)は、ネオ・ユートピア主催の藤子アニメ上映会である。会員限定のイベントということもあって、ここではその内容に触れないが、とても楽しく感動的でしかも笑える貴重な映像を見せてもらった。
 イベントのラストで行なわれた抽選会で、私はSF雑誌「スターログ」2冊セットが当たった。1冊は藤本先生のSF短編『絶滅の島』を、もう1冊は藤本先生のロングインタビューを掲載した号で、マニア的には実においしい資料だが、いかんせん私は2冊ともすでに所有していたので、「当たって感激!」ということにはならなかった。そこでイベント終了後、茨城のYさんに、彼が当てた怪物くん首ふり人形4体&CD「怪物くん全曲集」と、私の「スターログ」2冊を交換してほしい、と冗談半分で話を持ちかけたら、すんなりと交換してくださった。Yさんは、「スターログ」を持っていないのでそちらのほうがいい、とのこと。互いに利益になる交換ができて、めでたしめでたしだ。



 イベント後の懇親会は、大塚駅近くの居酒屋で開催された。そこで兵庫のKくんが乾杯の音頭をとることになった。本来ならネオ・ユートピアのスタッフのかたが行なうものだろうが、Kくんのたっての願いでそうなったのだ。Kくんは、ネオ・ユートピア結成20周年を祝うコメントを述べたあと、乾杯の音頭をとったのだが、そのさい大きな声で「乱○パーチィ!」と絶叫。それを聞いた参加者のかたがたには、Kくんの絶叫に乗じて同じ言葉を叫ぶ人や、あっけにとられる人、明らかに拒絶反応を示す人などがいて、一種異様な雰囲気のなか懇親会がスタートすることになった。当のKくんは、やりたかったことをやり遂げることができて満足そう。
 Kくんは、「Neo Utopia」最新号(41号)に、ステージに立った眼鏡の男が聴衆に向かって「乱○パーチィ」と叫ぶイラストを投稿している。つまり彼は、自分が描いたイラストのなかの架空の出来事を現実の懇親会の場で実行してしまったわけである。実に不謹慎で非常識な行為といえばそのとおりだが、これはKくんの藤子愛の純粋な体現といえなくもないのだ。以前にもこのブログで書いたが、眼鏡の男が「乱○パーチィ」と叫ぶシーンは、実際に安孫子先生の『戯れ男』*4のなかにあるもので、Kくんはこの『戯れ男』を毎月必ず1回は読み返すほどの熱烈な『戯れ男』ファンなのだ。だからKくんにしてみれば、自分が大好きな作品の大好きなシーンを自分の身体で再現したまでのことなのである。ただ、そのシーンというのが、よりによって作中人物が「乱○パーチィ」と叫ぶものだったので、そんな叫びを懇親会の場で現実に聞かされれば、常識的な感性を持った人は面食らってしまうだろう。



 懇親会での私は、近くに座った顔なじみの面々と会話しつつ、昨年末に入会したばかりの東京のNさん、福岡からはるばるやってきたSさんといった初対面のかたとも言葉を交わした。
 懇親会を終えると、Nさん、Tさん、Kくんとともに新宿へ移動。居酒屋で飲んだ。隣のテーブルに落語家の三遊亭小遊三さんがいらしたのでNさんが声をかけ「握手してください」と頼むと、快く応じてくださった。Tさんが色紙を取り出してサインを求めると、これにも快く応じてくださり、ご自分の名前だけでなく、落語に出てくる言葉などを丁寧に書き添えてくださった。お酒と会話を楽しんでいる最中に相手をしてくださった小遊三さんに感謝したい。我々が居酒屋から出るさい、サインをもらったTさんは、(聾唖者なので)紙に「サインありがとうございました。大切にします」と書いて、小遊三さんにお礼の気持ちを伝えたのだった。



※情報
7日、川崎市が「藤子・F・不二雄アートワークス」(仮称)の誘致を正式に発表した模様。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000121-jij-pol
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-04237597-jijp-bus_all.view-001

*1:『タンク・タンクロー』 阪本牙城・作/昭和9年から講談社「幼年倶楽部」に連載

*2:『フータくん ナンデモ会社編』 「週刊少年キング」昭和41年7月31日号〜42年5月21日号連載

*3:『アニメ画集・銀河鉄道999 PART4』には藤子不二雄名義の「銀河鉄道に乗りたい」というエッセイが、『戦後マンガ民俗史』には、藤子・F・不二雄先生の「人工衛星の視点から」という解説文が掲載されている。

*4:『戯れ男』 「ヤングコミック」昭和48年5月9日〜11月14日号連載