『ドラえもん』の科学する心

koikesan2007-09-21

ドラえもん』(をはじめとした藤子F作品)が持つ多様な魅力の一つに、「科学する心」があると思っている。
 今から3年ほど前、私はある同人誌にこんなことを書いた。

(中高生時代の)同級生の中には『ドラえもん』を幼稚だとか言って笑う者もいましたが、藤本先生の「SF短編」を読んだ目で改めて『ドラえもん』を読み返すと、児童マンガである『ドラえもん』にも「SF短編」で描かれたのと同質の精緻なストーリー構成、卓抜なアイデア、どんでん返しや意外なオチ、機智に富んだ台詞まわし、SF的な発想とガジェット、人生の哀歓、皮肉のきいた風刺、古典と呼ばれる作品が持ちうる普遍性、科学への関心、歴史へのロマン……といった諸要素がしっかりと盛り込まれていることをより明確に認識でき、「藤子マンガは決して幼稚ではないんだ」という信念を強く持てるようになりました。


 たとえば、「科学への関心」という点で言えば、『ドラえもん』はサイエンス・マインドに満ち満ちたマンガです。ともすると堅苦しく鬱陶しくなりがちな科学の知識や概念を、作中に魅惑的に溶け込ませているのです。


 ちょっと前に「地球の周りを星や太陽が回っていると考えている小学生が4割にものぼる。小学生の4割が天動説を信じているのだ」という調査結果が出て話題になりましたが、『ドラえもん』には、ちょうどこの「天動説・地動説」をネタにした話もありますし、そのほか生物、天文、気象、地質、物理など様々な科学知識を取り込んだ話がいくつも描かれています。
 

 大上段から科学知識を押し付けるのではなく、あくまでも面白いお話の一環として科学知識をおいしく料理してくれるところが『ドラえもん』というマンガの素敵な特質なのです。

 このたび、そんな私の思いを、科学の専門家が詳しく代弁してくれたような本が出た。ソフトバンク新書『2112年9月3日、ドラえもんは本当に誕生する!』(桜井進・著/2007年9月26日発行)である。
 同書のプロローグにこのような記述がある。

 ドラえもんがお腹のポケット(四次元ポケット)から取り出す道具には、さまざまな科学的理論、高度な最先端科学の成果がビッシリと詰まっていたのです。
 しかしながら、「え、どこに?」と思わせるほどさりげなくサイエンスを盛り込んでいるのが「ドラえもん」の真骨頂といえます。
 中にはもちろん、有名な、アインシュタインの「相対性理論」もあります。「重力方程式」の理論もあれば、「運動量保存の法則」もあります。
 (中略)
 何げなく描かれる日常の一コマ、ワクワクを誘うポケットの中の道具、単に科学技術を駆使して便利な道具を作り出すだけでなく、不思議に惹かれる科学、真理を探究する哲学を語る『ドラえもん』は、すべての現代人に贈りたい、テクノロジーとフィロソフィの融合した真の科学物語といえます。

 このプロローグを読んだだけでも、我が意を得たりといった気持ちになってくる。


 第1章の冒頭では「竜宮城の八日間」(てんとう虫コミックス25巻)をとりあげ、この作品がアインシュタイン相対性理論のエッセンスをたったの2カットで見事に言い当てていることの凄さを指摘している。私も、「竜宮城の八日間」のこの部分に着目して当ブログなどで引用したことがあるので、とても共感した。


 本書は、『ドラえもん』で描かれた科学を知識面・技術面から解説するばかりでなく、科学と哲学、技術と人間性、藤子F先生の科学観・人間観といった領域にまで(軽くではあるが)筆を及ばせていて、しかも、できる限り平易な言葉で記述していて、実に読み心地のよい本だった。


 こういう、「マンガを科学的な視座で分析する」「マンガを哲学的に解析する」といった本は、マンガの中で描かれた科学的な矛盾点におもしろおかしく(意地悪に)ツッコミを入れたり、科学や哲学を論じるための材料としてマンガを利用したり、といった内容のものが結構多いのだが、本書は、『ドラえもん』という作品と「サイエンス」という分野の両方の魅力をバランスよく描き出しているなあと感じた。何よりも、著者が誠実に愛情を注いで『ドラえもん』を読みこんでいることが伝わってきて、好感を持てた。


 この著者によると、「2112年9月3日」というドラえもんの誕生日の設定は、科学的に見て、ピタリとはいかないまでも、なかなか現実味を帯びた数字だということだ。ドラえもんの身長129.3cmと絡めた数字遊びのような誕生日設定なのに、それがいい線いってるというのが驚きだそうである。

 

 というように、本書は私の好みに合致した本ではあるが、あくまでも『ドラえもん』にさほど詳しくない一般層に向けた平明な啓蒙書なので、コアな藤子ファンが読んで面白いものかどうか定かではないし、評論・研究として見れば食い足りない内容かもしれない。
 



 ここからずいぶん話がズレるが、アインシュタインの名前が出て、ふと思い出したことがある。
 私は、目覚めてからでも憶えているような夢を見ることはあまりないのだが、先日、こんな夢を見た。

 なぜか私がアインシュタインと同じテーブルを囲んでいる。でも現代にアインシュタインが生きているはずがないから、目の前にいるアインシュタインは「2代目アインシュタイン」に違いない。アインシュタインとは、歌舞伎役者と同様、世襲制という制度下で連綿と続いていく科学者名だったのだ〜! と、そんな奇妙な夢であった。