「たま」の石川さんのライブで笑って泣いて

 先週から風邪をひいて体温が最高39.2度まで上がってなかなかブログを更新できなかったので、前回の記事に引き続き、別のところで書いた“藤子不二雄とは直接には関係のない旅行記”を載せたいと思う。前回の記事『トラウマ童話作家大海赫先生を囲む会 』の翌日の出来事である。藤子不二雄とは直接的に関係ないとはいえ、最後には強引にでも藤子不二雄と関連づけて終わらせたい。


 感動の「ビビを見た!」会から一夜明けた11日(日)も、また感動的な体験が待ち受けていた。この日の夜、「ビビを見た!」会を主催したMさんは元「たま」のメンバー・石川浩司さんが出演するライブを観に行くということだった。当日券でライブ会場に入れると聞いた私は、忠犬のようにMさんにくっついていった(笑) Mさんは、熱烈な大海赫ファンであるとともに、たまの熱狂的なファンでもあるのだ。

 たまのことをマニアックにならぬよう簡潔に紹介すれば、「イカ天出身バンドの一つで、1990年に『さよなら人類』で一躍人気者になり“たま現象”と呼ばれる社会現象を巻き起こした」といった感じになろうか。1996年にはアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディング曲『あっけにとられた時のうた』を歌っている。ブームが沈静化したあとも、そんなこととは関係なく独自のペースでバンド活動を続け、2003年に解散。各メンバーは現在もおのおのに音楽活動を続けている。
 今回の主役・石川浩司さんは、「たまのランニング」「たまのパーカッション」「『さよなら人類』で「ついたーっ!」って叫ぶ人」と言えば通じやすいだろうか(笑)


 この日のライブ会場は、原宿クロコダイル。
 会場に入ると、Mさんが奥のほうにいる石川さんの姿を目敏く見つけ、石川さんに向けて「あたし、ここにいるわよ光線」を乱射。石川さんはすぐに気付き、こちらのほうへやってきてくださった。お二人の親しげな様子から、待ち合わせしていた恋人同士の対面のようなホットな空気を感じた(笑) 私は、「わ〜! たまの石川さんが目の前にいる〜!」と、どぎまぎしつつも大感動! 
 私は、たまがメジャーシーンで活躍していた時代のたまファンで、アルバムで言うと『さんだる』から『犬の約束』あたりまでを買って聴いていた。関連本やたまの記事の載った雑誌も少しだが集めていた。

 テレビの画面や雑誌の写真でしか見たことのなかった石川さんがいま目の前にいる〜!と思うと、興奮が止まらなくてどうにかなりそうだったが、Mさんが石川さんと非常に楽しそうに会話しているのを見ると、余計な力が抜けていく。
 石川さんはご自分の出番までMさんと一緒のテーブルにいてくださることに! 私はMさんに便乗して石川さんと同じテーブルに座ることができたのだった。「石川さんと初対面でこんな贅沢な状況になっちゃっていいのかしら…」「これでいいのだ!」と自問自答しつつ、石川さんとMさんが楽しげに会話するのをほほえましく眺め、私もちょこちょこと会話に加わらせていただいた。

 Mさんが電話のため席を立つたびに私は石川さんと二人きりになり、「ギャー、石川さんと二人きりだ〜!」と緊張にさいなまれつつも、思いついたことを次から次へとしゃべったのだった。石川さんからうかがった中で特に印象に残ったのはこんなお話。石川さんのセリフは私の要約。(記憶で書いているので、細部は間違っているかも)
 私「東京へ来る前に、たまが出演した『紅白歌合戦』のビデオを観て来ました」
 石川さん「ぼくも持ってたけど、画像がひどくなって捨ててしまった。本人は案外たまのものを持ってなかったりするんだよね」
 私「でも、空き缶コレクションは凄いですよね〜!」


 石川さんはつげ義春先生のマンガを愛好していて、つげ義春談義でもちょっと盛り上がった。
 石川さん「つげ先生の活動後期の作品がとくに好き。初期の資本劇画時代のものは揃えてないのもある。やはりそれよりは後期のものがググッとくる」「つげ義春の、夢をそのまま作品化するような不条理な作風が、自分の創作に無意識のうちに影響を及ぼしていると思う。曲を創るときに意識はしてないが、できあがってみると、そうかなあと感じる」「つげ義春先生のマンガが映画化されたとき、たまのメンバーが試写会に呼ばれた。なんとぼくの隣につげ先生が座っていらして感激した。緊張して話はできなかった。その隣には水木しげる先生もいらして、ものすごい豪華だった。あれはたまブームが終わりかけのころだったかなあ(笑)」


 私が「月刊カドカワ」に連載されていた『たまの百葉箱』が好きでした、と言ったときは、「あれは、めちゃくちゃ忙しいときに締め切りに追われて大変だった」と当時の過剰な忙しさを回想された。
 ほかにもお話させていただいたはずだが、舞い上がってテンパって記憶が消去(笑)



 Mさんのたまファン仲間の方々が次第に集まってきた。
 コアなたまファンの方々の語らいの風景は、実に和気あいあいとして、傍から見ていてポカポカ心があたたまった。



 石川さんが出演したのは、原宿クロコダイルで開催された『地球のっとり*PARTY』なるライブイベントで、参加バンド7組のうち石川さんの出番は5番め。石川さんは、バンドではなくソロだった。
 私は、石川さんのライブどころか、ライブハウスでライブを聴くこと自体おそらく初めて。完全初心者である。1組めのバンドの演奏が始まると、耳をつんざくような大音量が迫ってきて、思い切りのけぞりそうになった(笑)



 1組また1組と公演が進んでいき、いよいよ石川さんの出番! ぬお〜っと石川さんがステージの真ん中に立った。ほかの客席からもざわめきが起こったが、Mさんやそのお仲間たちも負けじと熱狂的な声援を投げかける。私も皆さんに便乗して「石川さ〜ん!」と2回連呼。
 石川さんは、「今日の出演バンドは、みんな仲間がいていいなあと思いました。でも、ぼくはひとり…。これから、その気持ちをこめた歌を歌います」と語り、1曲めを歌いはじめた。その曲名が『ひとり闇鍋』! 私は曲名を聴いたとたん、心をわしづかみにされ、喉仏のあたりがすでに笑いの準備態勢に突入。
 1990年代中盤以降のたまの活動に疎い私は、今回石川さんが歌った曲も予備知識がない状態で、どの曲がどんな題名かすら分からぬまま白紙の頭でライブに臨んだ。『ひとり闇鍋』については、石川さんが最初に曲名をはっきり伝えてくれたので、「ああ、この曲は『ひとり闇鍋』なんだ」とその場で認知できた。
 曲名を聴いただけで今にも笑いだしそうになったのだから、実際に石川さんが歌いはじめれば、またたく間に笑いっぱなしの無間爆笑状態に陥るのは必然。ひとり闇鍋だなんて! ひとり組み体操だなんて! ひとり結婚で新郎も新婦も俺だなんて! 続々と繰り出されるひとりぼっち行為に大爆笑しつつ、空しい〜! 切なすぎる〜! わびし〜! と明るい気持ちで哀愁にひたってしまった。抱腹絶倒しながら切なさを噛みしめるという稀有な体験だった(笑)



 次の『カイボーするなら』では、歌いだしの「カイボーするなら公務員♪」というところから大いにハマった。解剖するなら公務員って? 私はフナかカエルくらいしか解剖したことがないぞ… そうだ、いたずらでアメリカザリガニを分解したこともあったな… でも、公務員の解剖ってなんなんだ? とぐるぐる思考を巡らしながら、この曲のシュールな世界に引き込まれていったのである。自分の常識が通用しない異世界! 異文化コミュニケーション! あっちの世界へのいざない! これはもう、シュルレアリスムのデペイズマン(異境送り)ですね。通常の常識的な文脈であれば決して結びつくことのない言葉と言葉が不意に出会うことで起こる予測不能な驚きや美しさや笑い。19世紀の詩人ロートレアモンが記した「解剖台の上の、ミシンと洋傘の偶然の出会いのように美しい」という詩句が、デペイズマンとは何かを言い表しているが、そのデペイズマン(異境送り)の魅力を、石川さんの歌でまざまざと実感してしまった。
 この曲の終わりに、石川さんが一人でしりとりをしたのだが、それがまた爆笑モノ! 短い単語だけでなく「●●は○○する。」といった文でしりとりをするので、語尾がたびたび「る。」で終わってしまう。石川さんは「るっ?」「また、る?」と、自分で「る」で終わらせといて、「る」から始まる言葉をひねり出すのに悪戦苦闘(笑) そうして、しりとりはあえなく破綻。嗚呼、南無三…



『夏のお皿はよく割れる』には、最高に笑わせてもらったと同時に、最高に考えさせられた(笑)
 高速道路でひたすら長い渋滞に巻き込まれ、その時間があまりに長すぎて老人が死んでしまうという事態は現実的に分からないでもないのだが、そこからがありえない。高速道路の真ん中におばあさんのお墓を立てたら道路公団の人に叱られて、そんな道路公団の杓子定規で融通のきかないお役所仕事を手厳しく批判するくだりは、究極の逆ギレ! 歌詞に「道路公団」って単語が出てくること自体、むやみに可笑しい。
 そして、なぜからっきょう売りが登場。“あなたはらっきょうと真剣に向かい合ったことがありますか!”という迫真の問いかけに、私の脳はスパーク。ああ… 情けないことに私は、これまでの人生の中でらっきょうと真摯に対峙したことがなかったのだった… なぜらっきょうと対峙することなく生きてきてしまったのだろうと空疎な後悔が頭をもたげ、今後らっきょうについて存在論的に思索していくべきだろうかと無駄に考え込むことに。そうやって考え込みながらも、やはり爆笑状態は止まらない。
 この日は、私の人生で最も深くらっきょうについて考えた、記念すべき日になった。らっきょう記念日である。ちなみに、私はらっきょうが食べられない。



『ハゲアタマ』という曲では、井戸だらけの村の井戸からサンダーバード2号が顔を出すのだが、私はその珍妙な映像が脳裏に浮かんで大混乱。サンダーバード○号の中でも2号は最高にかっこよくて憧れの的。そんな2号が村の井戸から出てくるなんて! そのミスマッチに泣けそうなくらい笑いを誘われた。笑いというのは涙腺を刺激するのである。
 その井戸だらけの村を、ある雑誌が巻頭カラー二百ページ以上で紹介しているというくだりも琴線に触れた。巻頭カラーが二百ページ以上もある雑誌って、それはもうオールカラー状態じゃないか!とか、いったい全部で何ページある雑誌なんだよ〜!とか。



 石川さんがラストで歌った『オンリーユー』は、それまでのシュールで笑える曲とはうってかわって純粋に泣ける曲。「泣ける」というのが比喩やレトリックではなく、文字通り本当に泣けるのだ。
 だから私は泣いた。本当に泣いた。笑いに笑ってひたすら刺激され続けた私の涙腺は、『オンリーユー』を聴いたとたん感動のあまりついに決壊! ぬぐってもぬぐっても涙が浮かんでくる。
 最初はテーブルにあった紙ナフキンで涙をふいていたのだが、紙なのですぐにグジャグジャに。そういえばハンカチを持っていたんだとようやく気づき、おもむろにポケットから取り出して、しつこく浮かんでくる涙を繰り返しぬぐったのだった。
 もうそのあとは、石川さんの出番が終わっても、どんな曲を聴こうとも、何が起ころうとも、目に涙がにじんできてしょうがなかった。



 公演後、我々の座るテーブルに戻ってきた石川さんに、私は上述したような感想や感動を、それこそ演説するようにまくしたてた。妙な独演会を開いてしまって、石川さんをはじめ、たまファンの皆様、どうもすみませんでした(笑) この感動を伝えたいという衝動を抑え切れなかったのです。
 私の洪水のような言葉を、石川さんはニコニコしながら、うなずきながら、ときには肩に手を添えてくださりながら聴いてくださって感謝感激。


 帰りの夜行バスの時間が迫ってきたので、午後11時ごろ原宿クロコダイルを出た。Mさんが両手で熱く握手をしてくれて、そのあと石川さんも両手で熱烈に握手をしてくださって、たまファンの皆さんも声をかけてくださったり手を振ってくださったり。熱のこもったお見送りをありがとうございました! 
 
 

 ちなみに、このライブで石川さんが歌った曲目は以下のとおり。

 ひとり闇鍋
 カイボーするなら
 夏のお皿はよく割れる
 ぼけ
 ハゲアタマ
 秋の風
 オンリーユー

 と、ここまでたっぷり綴ったところで、最後に“藤子不二雄”と関連づけて締めようと思う。かなり強引な関連づけだが(笑)
 ライブ前に石川さんとつげ義春の話になった。そういえば、藤子不二雄A先生とお会いしたさいもつげ義春の話題が出たことがあったなあ、と昨年あたりのことを思い出した。
 若かりし頃の赤塚不二夫先生はつげ義春先生と交流があったようだが、藤子A先生はつげ先生とは一度も会ったことがないそうだ。
 藤子A先生は“つげ義春”についてこう言っていた。
「(つげ義春は)トキワ荘赤塚不二夫を訪ねてきたり、新漫画党のイベントに参加したこともあるが、ぼくは話をしたことがない。でも、『李さん一家』や『ねじ式』や紀行文などは読んでいて、自分が描くものと傾向は異なるが、よい作品だと評価している。とくに『李さん一家』のラストシーンは印象的だった」 
 おそらく、『ねじ式』の出現は藤子A先生にとっても衝撃的な出来事だったと思う。藤子A先生が言うように『李さん一家』のラストシーンはとても印象的だ。そこでは当たり前の事実が淡々と語られるだけなのだが、ラストの大きな1コマがとても鮮烈なインパクトをもたらす。李さん一家がそこにいるというあるがままの状態が、なぜか驚きをともなって眼前に突きつけられる感じなのだ。そして、李さん一家という飄々としてつかみどころのない家族の存在感が強烈に迫ってくるのである。激しい表現などどこにもない、むしろ静かで淡々としたラストなのにこのインパクトはなんなんだ、と不可解な気持ちにすら襲われる。この1コマは、鮮烈な映像記憶としてずっと脳裏に焼きつくことになりそうだ。
 李さんの笑わない奥さんがドラム缶風呂でのびてしまう挿話がくだらなくて愉快。