映画ドラえもん『のび太と奇跡の島〜アニマルアドベンチャー〜』感想

 3日から映画ドラえもんのび太と奇跡の島〜アニマルアドベンチャー〜』(楠葉宏三監督)の公開が始まりました。
 私は、公開2日目の4日(日)、名古屋の劇場で鑑賞しました。


(以下、『のび太と奇跡の島』の内容に触れながら感想を記していきます。ネタバレしています。この映画をこれからご覧になろうという方はご注意ください)
 
 ・パンフレット


 この映画は、絶滅動物を題材にした『ドラえもん』の短編「モアよドードーよ、永遠に」をアイデアの元にした作品です。ですから、いろいろな種類の絶滅動物が登場するわけですが、実際に本編を観てみますと、絶滅動物はこの映画において舞台背景みたいな扱いになっていました。
 舞台背景とは言いすぎだったかもしれません。
 希少な動物の絶滅を防ごう、というメッセージをとりあえずは読み取れましたし、いろいろな種類の絶滅動物の生態が描かれていました。
 にもかかわらず、絶滅動物の存在が後景に退いているように私が感じたのは、別のテーマが作品の前面に躍り出ているからです。(絶滅動物の描き方・動かし方がなんだか淡白だったこともありますし、絶滅動物よりカブトムシのほうが目立っていたこともありますが…)


 前面に躍り出ているそのテーマとは、「親子の絆」です。とくに、のび太とパパの関係が主軸となっています。
 冒頭場面では、パパがのび太とかかわる描写がこれまでの映画ドラえもんになかったほど多く描かれますし、のび太にそっくりの容姿をした少年ダッケは、のび太とパパの絆を描くための要員的なキャラクターであったと見ることができます。「親子の絆」というテーマを補強するために、既存の『ドラえもん』の短編「ぼくの生まれた日」や「ママをとりかえっこ」のエピソードを導入したりもしています。
 そして、このテーマを最も明示的に表現しているのが、何人もの登場人物たちが劇中で行なう、胸に手を当てて家族のことを思う行為です。


 このような諸要素から、この映画が「親子の絆」をメインテーマにしようと企図していることは歴然としています。
「親子の絆」というテーマ自体にどうこう言う気はありません。それは一般的に言って大切な事柄ですし、人々の心を揺さぶるものでありましょう。
 世情を汲み取ったテーマでもあると思います。このテーマは、震災の影響が大きく作用しているのです。楠葉監督のインタビューによると、もともとのび太とパパの交流が主軸となることは決まっていたのですが、震災後、そのテーマをもっと広げ強化していく方針が取られたそうです。


 ですが、そんな大切なテーマが、映画のストーリーのなかにうまく溶け込んでいるとは言いがたい面があったように思うのです。「ぼくの生まれた日」や「ママをとりかえっこ」のエピソードは、その断片だけを切り抜けばよいセリフがありよい描写が見られるのですが、全体のストーリーのなかにうまく溶け込んでおらず、なんだか強引に捻じ込まれている、という感じなのです。
 胸に手を当てる行為も、それ自体は(ちょっと恥ずかしいけれど)心温まる描写だと思うのですが、なぜこのタイミングでその行為が出るのだろうという不自然さがあって、作為的な印象が残ります。
 それから、子供の目線に立って「親子の絆」を自然に描写するというよりは、大人が子供に「親子の絆って大事なものなんだよ」と上から説いているるような目線が、作品の背後に潜んでいるように感じられました。
 せっかくパパの存在をクローズアップして意欲的なテーマを明確に設定したのに、取ってつけた感や上から目線があるため、そのテーマが生き生きと立ちのぼってこないのです。


 本作の監督をつとめた楠葉氏の印象といえば、私のなかでは、何よりも映画ドラえもんのび太の人魚大海戦』の監督さんです。
のび太と奇跡の島』も、『人魚大海戦』と同じ監督さんの作品だなあ、と強く感じさせるものでした。ですから、『人魚大海戦』をお好きな方や、楠葉監督の演出・センスと波長が合う方には、今回の作品も魅力的なものに感じられたんじゃないかと思います。
『人魚大海戦』よりもストレートなメッセージ性があるぶん、一般層からは『人魚大海戦』以上に評判を得るかもしれません。興行成績も良好な結果を残すかもしれません。「親子の絆」というテーマに、文字通り“ほだされる”人が少なくないと思うのです。
 楠葉監督は真面目で平和的な性格の方なんだろうなあ、ということも作品から伝わってきます。


 しかし、それが私にとって魅力的な作品だったかというと、残念ながらそうとは言いがたいです。
 画面のダイナミズムやストーリーの起伏をフラットにし、物語の因果律やSF的な考証やキャラクターの人格的造形などにあまり神経を配らず、映画ドラえもんドラえもんでなくてもよいような幼年向けアニメとして表現するところなど、『人魚大海戦』の難点を踏襲しているような気がして、私はそういう部分を評価できません。誉めたくても誉められません。誉めれば皮肉になってしまいます。


 少し細かいところでは、以下のようなことも感じました。


・ゲスト声優さんは、実力者揃いだったこともあって、個々には健闘していた。とくに、野沢雅子さんの元気な演技が印象に残った。けれど、ダッケに野沢さんが合っていたかはちょっと疑問。
・映画になるとヒーロー的な活躍をするのび太だが、今回はあまり活躍が見られなかったような…。のび太の飼っているカブトムシが最後に大きな活躍をするけれど、そうなるなら、このカブトムシとのび太の交流などを前の場面で丁寧に描いておいたほうが説得力があったんじゃないかなあ…。
・マスコットキャラとして宣伝やグッズで目立っていたドードー鳥のクラージョは、本編では存在感が薄く、ほとんど「いるだけ」だったような気がする。この「いるだけ」というのは、ある意味、マスコットキャラとして徹底された結果、と言えるかも。
・最初につかまったモアも、奇跡の島(べレーガモンド島)へ連れてこられて以降は、いてもいなくてもよい存在になってしまった。こういうところからも、本作における絶滅動物の扱いの軽さが感じられた。このモアとの交流や活躍を最後まで描いたほうが、物語としてなめらかな一貫性が出たのではないか。
ロッコロ族がなぜ奇跡に島に住んでいるのか、この一族はどんな歴史や背景を持っているのか、きちんと描いてほしかった。ロッコロ族の素性が不明すぎてもやもやする。
・ゴールデンヘラクレスは、本作のキーとなる要素なのだから、その正体や価値観をもっと説得力の出るよう描いてほしかった。なんだかよくわからない存在だった。


 ああしてほしかった、こうしてほしかったという感想を私はあまり言わないほうなのですが、この映画に対しては、そう言いたくなるところが多いです。言っても詮ないことではありますし、言えば言うほど一鑑賞者のわがままや愚痴のようにもなってしまうのですが、それでも言いたくなるほど、この映画は釈然としないのです。さほど大きくない容量の胃袋にいろいろな食べ物を雑多に詰め込み過ぎて消化不良を起こしてしまった作品のような感じで…。
 全体的に見て、登場するキャラクターや動物やアイテムや出来事などが、ことごとく、物語を次へ進めていくために都合のよい駒や歯車のように扱われていたようにも感じられ、その点も残念でした。


 個人的な思いを言えば、絶滅動物を守る・絶滅動物と触れ合う・絶滅動物の生態を科学的に正確に描く、絶滅動物の姿に驚き感動する…といったふうにテーマを「絶滅動物」に絞り込んでシンプルな構成にしたほうがずっとよくなったと思います。絶滅動物たちにもっと生命感や存在感を授けてあげてほしかった…。
 絶滅動物よりも親子の絆の重要さを描きたいのなら、そちらにもっと焦点を絞って、テーマが物語に溶け込むように作品をつくるべきだったのではないかなあ。両方とも描きたいのなら、両方のテーマをもっと有機的に結び付けないと、分裂した物語になってしまいます。


 PTA的なところからクレームの来ない健全性が確保され、家族連れで安心して観られる内容になっており、マーチャンダイジングや宣伝がしやすいよう配慮されているようでもあり、そういう方面での神経はかなり行き届いているように感じました。そういう意味でも、これは子供が欲する作品というより、大人が子供に「与えたい」作品、という側面が強いように思います。というか、大人が子供に与えたいと思うような作品にしたい、という願望が優先された作品と言ったほうがよいなかなあ…。


 歴代の映画ドラえもんのなかで「面白かった作品」を順位付けするとしたら、今回の『のび太の奇跡の島』は決して上位に来きません。それどころか、相当下の方に位置してしまう作品になりそうです。
 下位に来るからといって、この作品を冷淡に突き放すようなことはやめておきました。なんだかんだ言ったって、私は映画ドラえもんが好きなのです。ですから、厳しめの内容とはいえ、『のび太と奇跡の島』について、こんなにもいろいろと語ってしまったのでした。ゴンスケがゲストキャラとして登場したことで、ゴンスケグッズがいくつか発売されたことは素直に嬉しいです。


 毎年確実に傑作・佳作を生み出していくのは極めて難しいことでしょう。昨年の『新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』が非常に素晴らしかったわけですが、これを観終えたとき、今後の映画ドラえもんでこれほど素晴らしいと思える体験はしばらくないかもしれないな、と覚悟しました。ですから、今回の作品の出来がかんばしくないことに大きな落胆やショックや怒りはありません。ただ、もうちょっとなんとかならなかったものか、という気持ちが芽生えたのも正直なところなので、上記のようなことを言わせてもらいました。
 来年は、今年よりは面白い作品であることを願います。もちろん、期待以上の傑作であれば、それは望外の大きな喜びとなるでしょう。