一箱古本市in円頓寺商店街

 21日(土)、名古屋で「一箱古本市in円頓寺商店街」が開催されました。
 http://www.bookmark-ngy.com/j-event/208
 名古屋の歴史ある商店街の一つ「円頓寺商店街」の路上で、個人や古書店の方々が古本を並べて販売するフリマ形式の催しです。
 
 各ブースに並べられた古本を眺め、出品者の方々と言葉を交わし、買い物をしていく…。それはとても楽しい行為でした。
 この日は、あらかじめ待ち合わせをした友人のほかにも、何人かの友人知人と遭遇できて、そのことも大いに心を盛り上げてくれました。あんまり楽しかったので、一箱古本市開始時間の午前11時から終了時間の午後5時まで、ずっと円頓寺商店街に滞在してしまいました(笑)



 一箱古本市会場内では、いろいろなイベントが催されました。
 午後1時から『痕跡本のすすめ』の著者・古沢和宏さんがナビゲートする「痕跡本ツアー」に参加。一箱古本市で売られている古本から、前の持ち主の痕跡が残された“痕跡本”を探そう!という企画でした。
 NHK名古屋テレビが取材に来ていました。
 
 私は痕跡本を発見できませんでしたが、他の参加者の皆さんが続々と発見していき、ツアーは熱を帯びました。探索しているものを発見するハンティングの喜びが場を包み込みます。



 私は午後2時から始まる作家・広小路尚祈トークイベント「笑える文学 七連発!」への参加予約をしていたので、途中でツアーを抜けてトークイベント会場へ移動。
 広小路尚祈さんは、愛知県岡崎市に在住の小説家です。いわゆる純文学のジャンルの小説を書く方で、これまで二度芥川賞候補になっています。そのうちの一度は、いちばん最近の第146回芥川賞でした。『共喰い』で受賞した田中慎弥さんの会見がメディアで騒がれた回ですね^^


 トークのテーマは、シュールレアリズムならぬ“フールレアリズム”を提唱する広小路さんが、笑いの要素が魅力的な文学作品を、ご自身の文学観を織り交ぜながら紹介していくというもの。
 赤染晶子『うつつ、うつら』、井伏鱒二『駅前旅館』、内田百鐘??wノラや』、織田作之助『六白金星、可能性の文学』、中島らも『寝ずの番』、C・ブコウスキー『勝手に生きろ!』、ラ・ロシュフコー箴言集』の7作品について語られました。『うつつ、うつら』は非日常系の笑い、『駅前旅館』は日常系の笑い、『ノラや』は偏執系の笑い、『勝手に生きろ!』は無頼系の笑い、といったふうに独自に笑いを分類されていったところなど実に興味深かったです。
 また、笑える文学作品を創作するさいの種になる本ということで、三島由紀夫『不道徳教育講座』、北方謙三『男はハードボイルド』、ボードレール悪の華』、悠玄亭玉介幇間の遺言』、たこ八郎『たこで−す』、柳家紫文『都々逸のススメ』、榎忠『EVERYDAY LIFE/ART ENOKI CHU―榎忠作品集』の紹介・解説もありました。
 私は榎忠さんという現代美術家の存在を初めて知りました。作品集を見せてもらって、かなり興味がわいてきました。


 広小路さんはトークショーの締めとして、やり始めたばかりというバイオリンを披露。「(あまり上手じゃないものを無理やり聴かせるので)ジャイアンリサイタルみたいですね(笑)」とおっしゃってから演奏を開始されました。バイオリンの演奏ということで、私はジャイアンリサイタル以上に、しずちゃんが弾くバイオリンを思い出してしまいました(笑)
 
 トークが終了してから広小路さんのご著書『うちに帰ろう』(文藝春秋)にサインをしていただき、しばらくのあいだお話をさせていただきました。
 広小路さんは来月24日に新著『金貸しから物書きまで』を上梓されるそうです。それから、文芸誌「すばる」に新作『田園』を発表される予定だとか。
『田園』は、ベートーヴェンの交響楽『田園』からインスパイアされた面もあるようですが、藤子ファン的にべートーヴェンの『田園』というと、藤子不二雄A先生のブラックユーモア短編『田園交響楽』が思い出されます。この作品は4章立てで、その章題がベートーヴェンの『田園』の各楽章から取られているのです。
 次回以降の芥川賞では広小路さんのお名前に注目していこうと思います。



 ここで、広小路さんが取り上げた文学作品の中から強引に藤子ネタと結びつけてみましょう(笑)
井伏鱒二の小説『駅前旅館』は1958年に映画化されているのですが、これをきっかけに「駅前シリーズ」が始まり、全部で24作が制作されました。この駅前シリーズのうち15作目にあたる『喜劇 駅前漫画』(1966年、佐伯幸三監督)に、当時大ブームを巻き起こしていたオバQが登場します(赤塚不二夫先生の『おそ松くん』も登場)。オバQの声で曽我町子さんも出演しています。


織田作之助といえば、藤子不二雄A先生がトキワ荘時代につけていた日記をまとめた『トキワ荘青春日記』(光文社、1981年)の次の記述を思い出します。昭和31年2月19日(日)の日記に「九時起床、西武線椎名町方面へ散歩。古本屋で織田作之助『青春の逆説』を三十円で買う」とあるのです。


ボードレールの『悪の華』は、藤子不二雄A先生の『愛…しりそめし頃に…』の第1話「窓辺のともしび」の扉で引用されています。『愛…しりそめし頃に…』では毎回ラストのコマに詩が掲載されているのですが、ここに掲載される詩は原則として藤子A先生が創作したもので、詩人の名前もA先生が創ったものです。でも第1話の扉には、実在の詩人ボードレールの作品が載っているのです。


・広小路さんは三島由紀夫の作品についても語られましたが、私は以前このブログで「藤子不二雄三島由紀夫」というエントリを書いたことがあります。
 http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20051230



 今回の古本市で私が購入したのは以下の本です。
 
 結果として、どの本も文庫版や他の出版社の版など別バージョンですでに持っているものばかりとなりました。そのことは分かって購入したのですが、すべての本がそうなってしまうとは(笑)
 たとえば、筒井康隆の『12人の浮かれる男』や『バブリング創世記』は文庫本で持っていますし、中国版『ドラえもん』は日本のものを持っています。筒井康隆残像に口紅を』に至っては、文庫本だけじゃなくこのハードカバー本もすでに持っていたのですが、ではなぜまたハードカバー本を買ったのか…。
 この本、途中から袋とじになっていまして、「ここまでお読みになって読む気を失われたかたは、この封を切らずに、中央公論社までお手持ちください。この書籍の代金をお返しいたします」と記されています。今回買った本は、この袋とじ部分が未開封のままになっているのです。私が持っているのは開封済みの本なので、未開封バージョンということで購入したわけです(笑)
 前の持ち主は、袋とじを開けて小説の続きを読むこともなく、中央公論社から書籍の代金を返してもらうこともなく、未開封のまま古本屋さんに売ったわけですね(笑)
 
 これが『残像に口紅を』の袋とじ部分です。
残像に口紅を』は、五十音の音が一つずつ文章から(作中世界からも)失われていって、話が進むごとに使える文字が減っていくという実験小説です。終盤、使える音がごくわずかになっていったあたりが特にスリリングでした。



 最後に…
 円頓寺商店街の某飲食店前で見つけた●ラえもん(笑)