チョコレートの日

 きのう(2月14日)は、一年のうちでチョコレートが最も活発に譲渡されたり大きな価値を持ったり特別なメッセージ性を帯びたりする日でした。(今年は土曜日だったので、前日にチョコレートがやりとりされる機会も多かったでしょうけど) そんな“チョコレートの日”にチョコレートの登場する『ドラえもん』作品を読むのもオツなものだろう、と「おかし牧場」「ココロチョコ」を再読してみました。

「おかし牧場」は、牧場で牛を飼うようにチョコを飼育して増やそう、という突飛なアイデアが冴えわたる一編です。一コマ目からチョコレートがアップで描かれ、そこからしばらくチョコが話題の中心で展開されます。
 チョコが牧草を食べる姿だけでもずいぶんシュールでユーモラスですし、そのうえチョコが牛のように鳴いたり、つがいになったり、出産したりと、奇想天外な光景の連続。お菓子の家畜化、という着想につくづく敬服したくなります。


 のび太のチョコに対する熱烈な思い、それを表現するセリフも振るっています。久しぶりに大きな板チョコをまるごと手に入れたのび太は、しみじみと喜びにひたりながらも、これを食べてしまえば再びチョコレートと巡り会えるのはいつのことになるだろう、と不安にみまわれます。そこでのび太はこう言います。
「なぜだ!! なぜおかしはたべるとなくなるのだ!!」
 自分の欲望を率直に吐き出しただけなのに、あたかも深遠な哲学的問いを提示したかのような、その真剣さが面白いです。
 それに対してドラえもんが放ったセリフも、のび太のセリフの面白さを引き立てます。
「ずいぶんあたりまえのことをいっしょうけんめいしゃべるんだね、きみは」
 ドラえもんがあまり感情をこめず真顔でそう言うのがたまりません(笑)
 でものび太はあくまでも真剣です。「たべてもなくならない…、そんなチョコレートがないかなあ」と、あまりにも無茶で都合のよい願いをこぼすのです。のび太はどこまでも自分の欲望に忠実なのです!
 その後、ドラえもんが「おかし牧草」を出して、チョコを家畜化することになります。
 

 スネ夫「うちのネコ、五匹も子をうんだよ」
 しずか「うちのジュウシマツもふえて十七羽になったわ」
 のび太「うちのチョコレートもふえて、いまに何十個にもなるんだ」

 この会話もいいですね〜! のび太は自分がやっていることを正直に言っただけなのに、常識に照らせば単なるおバカ発言になってしまうのです。
 しずちゃんが、おかし牧場で育つチョコレートの子を見て「子チョコがチョコチョコかわいいわ」とダジャレコメントを発するのもさりげなくツボです(笑) 子チョコもかわいいですが、このダジャレもかわいいです♪



「ココロチョコ」は、分けて食べるとみんなの心が一つになる、というラブ&ピースな食べ物。最初にのび太がひとかけら食べ、そのあといろんな人にかけらを食べてもらうと、みんなの心がのび太の心といっしょになります。
 これを使ったのび太が「世界中の心が一つになれば、平和になると思うよ」と言ったとき、しずちゃんが「大ぜいが同じこと考えるなんて、気持ち悪いわ」と返した場面は胸に刺さります。みんなの心が一つになれば、たしかに社会はまとまりやすいでしょう。いろいろな問題が解決されて、平和的な状況が訪れそうです。しかし、みんなの心が同一化してしまった社会というのは、しずちゃんが言うようにたいへん気持ち悪くもあります。人間が大量生産の規格品と化してしまったような不気味さや味気なさ。全体主義とか管理社会なども想起されます。おぞましいディストピアだと思えてきます。
 何ごともほどほどにまとまって、ほどほどに自由で、ほどほどにひとりひとりが個性を持っているのがよさそうです。けれど、そのほどほど加減が実に難しく、人類は常に問題を抱え続けているわけです。私の理想は、各人それぞれが別々の個性や考えを持っていても、それを尊重し合える社会です。あなたと私は違うけれどお互いの違いを尊重し合いましょう。そんな寛容の精神が常態となったらいいなあと。現実的にはそう簡単なことではないのですが…。
 それはともかく、ココロチョコは心を一つにするうえハート型をしたチョコレートなので、2月14日のイメージにふさわしいと感じる次第です(笑)



 チョコといえば、藤子不二雄A先生の『シスコン王子』のヒロイン「チョコちゃん」を思い出したりもします♪
 
 昨年ネオ・ユートピアの上映会で人形アニメ版『シスコン王子』を観たのも記憶に新しいです。