ビートたけしによる映画『少年時代』評


 16日(木)に国内の観測史上最高の40.9度を記録した岐阜県多治見市(同日に埼玉県熊谷市も40.9度を記録)は、その翌日も40.8度に達するほどで、全国でもとりわけ強烈な猛暑に見舞われている。
 多治見市はここ数年、全国の暑い都市を集めて「あっちっちサミット」なるイベントを開催してきたそうだが、今年ほど異常に暑いと「あっちっちサミット」なんて能天気なイベントをやっている場合ではなくなって、20日(月)に「高気温対策会議」という真面目な会合を開いたらしい。


 私は18日(土)に、そんな暑い暑い多治見市へ行ってきた。ここ数日、新聞やテレビで多治見の名をよく見聞きした影響で、多治見市内にあるブックオフへ出かけてみたくなったのだ。多治見市は私の住む市に隣接していて、多治見市内のブックオフには1ヶ月に1〜2回くらいの頻度で通っている。
 今回は、105円コーナーに並んだ文庫本を2冊と、映画『ビートルジュース』(ティム・バートン監督)のビデオソフトを購入した。
 買った文庫本のうち1冊は、ビートたけし著『仁義なき映画論』(文春文庫)なのだが、このなかでビートたけし藤子不二雄A先生原作の映画『少年時代』(篠田正浩監督)を批判的に書いていて、藤子ファンとしてちょっとばかり気になった。もう16〜7年前に書かれた文章だし、ビートたけしの芸風は毒舌が基調なので、批判的な論調だからといって取り立てて不愉快だとかショックだとかいうことはないのだが、ビートたけしが映画『少年時代』に言及しているということに単純に興味がわいたのだ。


 ビートたけしは、『少年時代』は全国民が安心して感動できる黄金パターン映画で、そんな定型的な映画を篠田監督が今さら撮ってしまったことに不満を感じる、と言っている。国民を感動させるパターンに逆らうことなく、ひたすら王道を進んだ篠田監督の努力は大したものだし、こうした映画をちゃんと撮れる篠田監督は偉いと思うが、かつてヌーベルバーグと呼ばれた篠田監督の無抵抗な姿にはつらいものを感じる、と篠田監督に一定の敬意を表しつつも、全体的なトーンとしては厳しい評価をくだしている。


 たけしは、映画『少年時代』における子ども達の描き方の甘さも指摘している。

子供の描き方が大人の見た子供だね。いじめもあるけど、ホントはいい子ばっかりなんだという、大人側のノスタルジックな子供像を求めて作った映画だよ。実際はそんな甘いもんじゃなくて、子供はもっと残酷陰湿で、友情もクソも何もないってとこで生きているわけじゃない。

子供の本性に踏み込まない。だから大人が勝手に描いた子供ってことになるわけだよ。

 たけしは、映画『少年時代』で描かれた子どもは、大人が勝手に抱いた子供像でしかないと言っているわけだが、これとまるで逆の見方をしている人もいる。評論家の小浜逸郎である。
 小浜逸郎は、自著『頭はよくならない』(洋泉社/2003年3月21日初版発行)のなかで「現実の子ども達は、学校生活の中で先生の目を盗み、規制の網の目をくぐり、悪さをし、いくらでも子ども達固有の共同性を作り出している」「(そういう子ども達の現実は)子どもを素材にしたすぐれた文学作品や映画、マンガなどに触れればすぐ了解できる」と述べ、そんな優れた文学作品、映画、マンガの具体例として、「宮沢賢治の『風の又三郎』や『三島由紀夫』の『午後の曳航』、篠田正浩の『少年時代』、藤子・F・不二雄の『ドラえもん』」といった作品名を挙げている。
 ビートたけしは、大人側が勝手に抱くノスタルジックな子供像を描いた映画だと言い、小浜逸郎は、現実の子ども達の本来の姿を描いた優れた作品のひとつだと評価している。こういう正反対の見解が出るのが実に興味深い。


 映画『少年時代』は、藤子A先生の原作マンガにあるアクの強さやドロドロしたテイストを緩和して、もう少しやさしくてあたたかい感じの作風になっているので、ビートたけしもマンガ版『少年時代』を読むと、子ども達の描き方が甘いなどとは思わないかもしれない。マンガ版『少年時代』には、子ども達の陰湿さや残酷さや暴力性が強いタッチで描かれているのだから。
 映画版は、原作マンガのドロドロしたところや暴力的な要素をマイルドにして口当たりをよくした印象だ。(映画でもいじめや暴力などは描かれているのだが)
 だからこそ、山路ふみ子文化財団特別賞や、日刊スポーツ映画大賞・作品賞、キネマ旬報1990年度読者選出日本映画ベストテン第1位、文部省選定といった数々の栄誉に輝いたとも言えるだろう。



 藤子A先生は、子どもという存在について、こんなことを言っている。

僕はずっと少年・子供漫画を、それも無邪気で明るい面ばかりを描き続けてきましたが、ある時、子供は大人が考えている以上に複雑な心理状況に置かれた存在ではないか、ということに気が付きましてね。それから少年の持っている負の面に着目するようになったんです。その時にぜひ漫画化したいと思ったのが、ゴールディングの『蝿の王』です。
(「サライ」2000年11月16日号)

蝿の王』の漫画化は今のところ実現していないが、A先生は、柏原兵三の小説『長い道』も『蝿の王』と似た要素を持っていると考えていて、その『長い道』を漫画化したのが、ご存じのとおり『少年時代』なのである。



 ビートたけしの話をしたところで思い出したのだが、藤子・F・不二雄先生は北野武監督の映画が好きで、先生が亡くなるまでに公開された北野映画は全部観ていたそうだ。とくに『ソナチネ』を絶賛していたとのこと。
 晩年の藤子F先生が、『ソナチネ』のような劇的な演出を加えない方法で暴力や死を描いた映画を好んで観ていたという事実は、少し意外な半面、納得できる部分もある。
(参考資料:「本の窓」1998年3・4月合併号 正子夫人インタビュー)