4月15日発売の5月号をもって、「コロコロコミック」が創刊45周年を迎えました。
藤子不二雄Ⓐ先生の訃報から間もなかったこともありまして、当ブログでお祝いするのがだいぶ遅れましたが、
「コロコロコミック」創刊45周年おめでとうございます!
1977年に『ドラえもん』の総集編的な児童雑誌として創刊した「コロコロコミック」が、現在もなお『ドラえもん』の再録を続けていることに感慨と感謝をおぼえます。コロコロが自らのルーツを今も忘れず『ドラえもん』を掲載し続けているその姿勢に、精いっぱいの敬意を表したいです。
そして、現在もなお藤子・F・不二雄先生が描かれた『ドラえもん』が一線級の児童雑誌に掲載されて現在の子どもたちにしっかり届けられていることを素直に嬉しく思うのです。
(ちなみに、この号には「しりとり変身カプセル」(てんとう虫コミックス28巻)が再録されています)
記念に、創刊号とこのたびの創刊45周年号を並べてみました。
私は先月から藤子不二雄Ⓐ先生を偲んで生活しているので、Ⓐ先生が表紙を飾った「コロコロアニキ」4号(2015年)もここに載せます。
Ⓐ先生はコロコロの本誌で『怪物くん(再録)』『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』『ビリ犬』『ビリ犬なんでも商会』といった作品を連載されました。『忍者ハットリくん』『忍者ハットリくん+パーマン』『プロゴルファー猿』の映画原作もコロコロで描き下ろされましたし、『まんが道スペシャル』が読切で掲載されたこともあります。合作の『オバケのQ太郎』の再録もありました。
1987年末のコンビ解消まではⒶ先生もF先生も「藤子不二雄」でしたから、コロコロの誌面にお二人の写真が並んで載ることがよくありました。『ドラえもん』に関する企画だとしても、お二人が『ドラえもん』の作者として登場されていましたし、『ドラえもん』ブームから80年代藤子不二雄ブームに発展していったなかで2人で1人の「藤子不二雄」は何年にもわたってコロコロの中心にありました。
それが当たり前の光景でした。
そのように、Ⓐ先生は創刊間もなくから80年代にかけてコロコロのメイン作家、コロコロの大看板として輝かしく活躍されていたわけです。
ところが、Ⓐ先生はコロコロについて振り返るインタビューでこうおっしゃっていました。
アニメ「怪物くん」が始まったら『コロコロ』で連載。「怪物くん」のアニメが終わると、「忍者ハットリくん」のアニメが始まるから、また『コロコロ』でもやる、次は「プロゴルファー猿」……という感じで、メディアと連動してやるひとつひとつの企画、という感じだったんですね。だから『コロコロ』はやっぱり「ドラえもん」が核としてあって、僕は藤本くんのヘルプ、という感覚でやってましたよね。
あんなにもコロコロでメインを張ってらっしゃったのに、F先生のヘルプという意識を抱きながらコロコロで執筆されていたのですね。
コロコロはあくまでも藤本くんの雑誌だと、そういう強い思いがおありだったのでしょう。
ですが、続けてこうもおっしゃっています。
でも『コロコロ』で「ハットリくん」を連載するにあたって、獅子丸や影千代とかの新しいサブキャラクターを出して、これがまた新しい僕の代表作、人気キャラクターになったわけで、そういう意味ではとても感謝してますよ。
まさにそうですよね!
獅子丸や影千代はコロコロで新たに誕生した愛すべき人気キャラクターなのです!!
すでに述べたように、そのことを含めてⒶ先生がコロコロで残した功績には絶大なものがあります。
といいますか、あの当時のコロコロはⒶもFもない「藤子不二雄」の雑誌として大いなる光を放っていたのです。
今回の記事の最後に、実家のコロコロ書棚の風景を載せましょう。
コロコロは120号あたりまで毎月購読していて、その後は買ったり買わなかったりというふうになりました。
創刊号からリアルタイムで購入していた……と言いたいところですが、当時創刊号が出たことは知らなくて、創刊2号あたりから買い始めたのです。
ですから、いま私が所有している創刊号はあとになって古書で購入したものです。